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武井守正 たけい もりまさ

美術人名辞典の解説

武井守正

官僚・実業家。通称寅三・逸之助。武井贇次の次男。播磨姫路生。秋元安民萩原広道本居豊穎阪正臣に師事。幕末、国事に奔走し捕えられ在獄5年。維新後内務大書記官、農商務省会計・山林各局長、各県知事等を歴任。のち明治銀行・東京火災保険・帝国火災保険等を創立、重役となる。男爵・枢密顧問官。大正15年(1926)歿、85才。

出典 (株)思文閣美術人名辞典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

武井守正 たけい-もりまさ

1842-1926 明治-大正時代の官僚,実業家。
天保(てんぽう)13年3月25日生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)姫路藩尊攘(そんじょう)派として活動,捕らえられ5年間在獄。明治元年出獄して官界にはいり,21年鳥取県知事となる。のち実業界に転じて明治銀行,東京火災保険,帝国火災保険などを創立し重役をつとめた。貴族院議員。大正15年12月4日死去。85歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

武井守正

没年:大正15.12.4(1926)
生年:天保13.3.25(1842.5.5)
明治大正期の官僚,実業家。父は姫路藩(兵庫県)藩士武井領八。藩校好古堂に学び安政4(1857)年専業生に抜擢され,京都の宮原潜叟に儒学を,大坂の萩原広道に国学を学ぶ。帰藩後河合惣兵衛(河合屏山の家老再任を図り処罰された勤王派)に師事し,終身禁獄の刑に服したが,維新後出獄し屏山に協力した。その後新政府に出仕し,明治11(1878)年内務権大書記官の折,竹橋事件を探知した。21年から約3年におよぶ鳥取県知事在任中は勧業政策を進め,離任に際し県民の留任運動が起きている。のち,東京火災保険の社長を務め,さらに枢密顧問官に転じた。<参考文献>武井守正翁伝記編纂所『男爵武井守正翁伝』

(長井純市)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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