武井 守正
タケイ モリマサ
- 肩書
- 枢密顧問官,貴院議員(勅選),東京火災保険社長
- 別名
- 幼名=寅三
- 生年月日
- 天保13年3月25日(1842年)
- 出生地
- 播磨国姫路(兵庫県姫路市)
- 経歴
- 藩校好古堂に入って漢学を学び、秋元安民に国学を修める。河合惣兵衛、秋元安民らの勤王党に加盟し国事に奔走し捕えられ在獄5年。維新後、内務権大書記官、農商務省会計・山林各局長、鳥取・石川県知事等を歴任。のち実業界に投じ、明治銀行・東京火災保険・帝国火災保険・日本商業銀行等を創立し重役となった。従二位勲一等男爵を授けられる。明治24年〜大正12年勅選貴院議員ののち、枢密顧問官となった。
- 没年月日
- 大正15年12月4日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
武井 守正
タケイ モリマサ
明治・大正期の官僚,実業家,男爵 枢密顧問官;貴院議員(勅選);東京火災保険社長。
- 生年
- 天保13年3月25日(1842年)
- 没年
- 大正15(1926)年12月4日
- 出生地
- 播磨国姫路(兵庫県姫路市)
- 別名
- 幼名=寅三
- 経歴
- 藩校好古堂に入って漢学を学び、秋元安民に国学を修める。河合惣兵衛、秋元安民らの勤王党に加盟し国事に奔走し捕えられ在獄5年。維新後、内務権大書記官、農商務省会計・山林各局長、鳥取・石川県知事等を歴任。のち実業界に投じ、明治銀行・東京火災保険・帝国火災保険・日本商業銀行等を創立し重役となった。従二位勲一等男爵を授けられる。明治24年〜大正12年勅選貴院議員ののち、枢密顧問官となった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
武井守正
没年:大正15.12.4(1926)
生年:天保13.3.25(1842.5.5)
明治大正期の官僚,実業家。父は姫路藩(兵庫県)藩士武井領八。藩校好古堂に学び安政4(1857)年専業生に抜擢され,京都の宮原潜叟に儒学を,大坂の萩原広道に国学を学ぶ。帰藩後河合惣兵衛(河合屏山の家老再任を図り処罰された勤王派)に師事し,終身禁獄の刑に服したが,維新後出獄し屏山に協力した。その後新政府に出仕し,明治11(1878)年内務権大書記官の折,竹橋事件を探知した。21年から約3年におよぶ鳥取県知事在任中は勧業政策を進め,離任に際し県民の留任運動が起きている。のち,東京火災保険の社長を務め,さらに枢密顧問官に転じた。<参考文献>武井守正翁伝記編纂所『男爵武井守正翁伝』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
武井守正 たけい-もりまさ
1842-1926 明治-大正時代の官僚,実業家。
天保(てんぽう)13年3月25日生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)姫路藩の尊攘(そんじょう)派として活動,捕らえられ5年間在獄。明治元年出獄して官界にはいり,21年鳥取県知事となる。のち実業界に転じて明治銀行,東京火災保険,帝国火災保険などを創立し重役をつとめた。貴族院議員。大正15年12月4日死去。85歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例