朝日日本歴史人物事典 「武井守正」の解説
武井守正
生年:天保13.3.25(1842.5.5)
明治大正期の官僚,実業家。父は姫路藩(兵庫県)藩士武井領八。藩校好古堂に学び安政4(1857)年専業生に抜擢され,京都の宮原潜叟に儒学を,大坂の萩原広道に国学を学ぶ。帰藩後河合惣兵衛(河合屏山の家老再任を図り処罰された勤王派)に師事し,終身禁獄の刑に服したが,維新後出獄し屏山に協力した。その後新政府に出仕し,明治11(1878)年内務権大書記官の折,竹橋事件を探知した。21年から約3年におよぶ鳥取県知事在任中は勧業政策を進め,離任に際し県民の留任運動が起きている。のち,東京火災保険の社長を務め,さらに枢密顧問官に転じた。<参考文献>武井守正翁伝記編纂所『男爵武井守正翁伝』
(長井純市)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報