武佐宿(読み)むさしゆく

日本歴史地名大系 「武佐宿」の解説

武佐宿
むさしゆく

[現在地名]近江八幡市武佐町・長光寺町

中世東海道、近世中山道の宿駅。武佐村地内および南接する長光寺ちようこうじ村地内にも継立問屋が設けられていて、中世にはむしろ同村域が宿の中心であったようである。東方、現八日市市市街方面に向かう八風はつぷう街道西方の現蒲生がもう郡安土町域・近江八幡市域の琵琶湖東岸に設けられた各湊などに通じる道(浜街道と通称された)当地で分岐する。分岐点には文政四年(一八二一)に建立された「いせ みな口 ひの 八日市道」「安土浄厳院道」の道標が残る。「東関紀行」の筆者は、仁治三年(一二四二)八月一三日に武佐寺(現長光寺町の長光寺)付近に宿泊、鎌倉前期には宿の機能を有していたと考えられる。永禄元年(一五五八)書写の「実暁記」は京都から鎌倉への宿次を記し、かがみ(現蒲生郡竜王町)から武佐へは一里、武佐から蒲生野がもうのへは二里であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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