日本大百科全書(ニッポニカ) 「武士訓」の意味・わかりやすい解説
武士訓
ぶしくん
近世中期の教訓書、武士道書。全5巻(5冊)。肥後熊本の人、井沢蟠竜子(いざわばんりょうし)(1668―1730)の著で、1715年(正徳5)京都で板行された。武士たる者の日常心がくべき事柄につき、その模範とすべき実例をあげつつ、文武兼備の理想的な武士像を説いている。元禄(げんろく)(1688~1704)以降士風はすっかり萎靡(いび)沈滞して、これをいかに刷新するかが時代の急務であった。時あたかも享保(きょうほう)の改革にあたり、本書は世人に盛んに読まれ、5年後の20年(享保5)1月には後編5巻(5冊)を増補して、『広益(こうえき)武士訓』(全10巻)と改題して、同じく京都の柳枝軒(りゅうしけん)から刊行された。蟠竜子は通称十郎左衛門、名は長秀(ながひで)、代々細川家に仕え、鉄砲組組頭を勤めた。彼は文武両道に優れ、漢学のほか崎門(きもん)派の垂加神道(しんとう)を学び、神道、国史、地理に詳しく、1706年(宝永3)の『俗説辨(ぞくせつべん)』をはじめ、広範な著作活動を続け、また武術では剣術をはじめ、渋川伴五郎義方(しぶかわばんごろうよしかた)の門に入って柔術、居合の蘊奥(うんのう)を極め、6代藩主宣紀(のぶのり)の信任を得て、関口流居合の師範役を勤めた。
[渡邉一郎]