アテナイのすぐれた将軍,政治家。生没年不詳。マラトンの戦の英雄ミルティアデスとトラキアの王女ヘゲシピュレの子。前479年ころストラテゴス(将軍)の職に選ばれてから,アリステイデスを助けて政治,軍事に活躍し,デロス同盟の土台を固めた。やがて民主派のテミストクレスに対抗する貴族派の指導者となる。さらにテミストクレスが陶片追放され,アリステイデスが世を去ったあとはアテナイ最高の権力をふるった。前468年ころエウリュメドンの河口でペルシア艦隊をうち砕いて,エーゲ海をアテナイの支配下におさめる。その結果デロス同盟に加わる都市の数がふえていった。ついでトラキアのケルソネソスを従えたものの,さらにマケドニアに攻めこんで広大な地域を分割する好機をのがしたのは,マケドニア王から買収されたためだとして政敵のペリクレスらにより告発されたが,無罪となる。そして前464年の大地震をきっかけにおこったヘイロータイの蜂起に苦しむスパルタを助けるために,エフィアルテスの反対をおしきってアテナイ人を説きふせ,自ら大軍を率いてスパルタにおもむいた。しかしスパルタは,アテナイがヘイロータイとひそかに手を結びあっているのではないかと恐れ,すぐにキモンを追いもどしてしまう。この失敗のために,彼は陶片追放される。そしてまもなく呼びもどされたが,それからは政治的にはたらくことは少なかった。前450年ころスパルタと5年間の平和を取り結んだあと,ふたたびキプロスを攻め取ろうとペルシア遠征軍を率いて作戦中にたおれた。プルタルコスはつぎのようにキモンを評している。〈彼の性格は高貴であり,勇気の点ではミルティアデスに,知恵の点ではテミストクレスに劣らず,さらにこの2人よりも正義の心に富んでいた〉と。
執筆者:安藤 弘
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古代ギリシア、アテネの政治家、将軍。マラトンの戦いの名将ミルティアデスの子。紀元前478年将軍に選出され、アリステイデスを助けてデロス同盟結成に貢献し、その後もトラキア沿岸や小アジア西岸に転戦してペルシア軍を破り、デロス同盟の拡充に努めた。とくに前468年ごろの小アジア南部エウリメドンの戦いにおける大勝利は有名。政治的には保守的貴族派・親スパルタ派の代表として、エフィアルテスやペリクレスら民主派・反スパルタ派と対抗した。前462年、彼がスパルタ支援に赴いている間に、民主派は大改革を実行して優位にたち、翌年彼はオストラキスモス(陶片追放)に処せられた。しかし彼の力は無視しがたく、前457年ごろ帰国を許され、前450年にはスパルタとの5年間の休戦を成立させた。翌年キプロス遠征中に死亡した。
[篠崎三男]
前510頃~前450頃
アテネの政治家,将軍。ミルティアデスの子。前478年将軍に選ばれ,アリスティデスを助けてデロス同盟建設のため努力した。政治的・軍事的貢献は大きかったが,ペリクレスの政敵となってのちは不遇。
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…このような趨勢に棹さして民主政の徹底化を成就したのが,テミストクレスに続いて民主派の指導者となったエフィアルテスとペリクレスである。前464年のスパルタ大地震の直後,ヘイロータイの反乱を鎮圧するための援軍派遣要請を受けて,寡頭派の領袖キモンがアテナイ重装歩兵数千を率いてスパルタに赴いたその留守を突き,エフィアルテスらは,前462年,アレオパゴス会議の実権を奪って,貴族支配の最後の牙城を落とした。エフィアルテス暗殺ののちは,ペリクレスがキモンあるいはその後継者トゥキュディデス(同名の歴史家とは別人)と争い,彼らを陶片追放に付して,前443年ついに民主派に最終的勝利をもたらし,以後,前429年その死にいたるまでペリクレスによる単独指導の時代が続く。…
※「キモン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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