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垂加神道 すいかしんとう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

垂加神道
すいかしんとう

寛文 11 (1671) 年山崎闇斎によって創唱された神道説。「しでますしんとう」「垂加流」「山崎神道」ともいう。垂加は闇斎の号。伊勢神道,唯一神道,吉川神道を,朱子学の居敬窮理の説を根本において集大成したもの。理気一体の大極にして,天地開闢神であるクニノトコタチノカミが,人体神である天皇と唯一無二であるとする天人唯一の理を唱える。その教説は『日本書紀』神代巻における,アマテラスオオミカミの道とサルタヒコノカミの教えとに基づき,その奥秘は土金の伝にあるとする。土金は,天地位し,陰陽行われ,人道の立つゆえんであり,敬 (つつしみ) の徳を示し,人はそれを学ぶことによって心身をまっとうすると説く。門弟に跡部良顕正親町公通 (おおぎまちきんみち) ,安倍泰福,玉木正英谷秦山谷川士清 (ことすが) ,竹内式部山県大弐 (やまがただいに) ,若林強斎などを輩出し,江戸時代の神道説の一主流をなした。その内尊外卑と尊王愛国の論は,幕末の尊王論にも多くの影響を与えた。

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デジタル大辞泉の解説

しでます‐しんとう〔‐シンタウ〕【加神道】

すいかしんとう(垂加神道)

すいか‐しんとう〔‐シンタウ〕【垂加神道】

江戸初期に、山崎闇斎が提唱した神道説。儒教、特に朱子学吉田神道伊勢神道などを集大成した独自の思想天照大神(あまてらすおおみかみ)猿田彦神を最も崇拝し、「日本書紀」を重視するとともに、儒教的な敬(つつし)みの徳や天と人との融合を説く。また、神道の核心は皇統護持にあるとする。山崎神道。しでます神道。垂加流。

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百科事典マイペディアの解説

垂加神道【すいかしんとう】

江戸初期山崎闇斎によって創唱された神道説。闇斎は吉川惟足(よしかわこれたり)や度会(わたらい)延佳について吉田神道伊勢神道を学び,それに朱子学の居敬窮理の思想を結びつけ,道徳的性格の強い神道説とした。
→関連項目儒教神道

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世界大百科事典 第2版の解説

すいかしんとう【垂加神道】

近世初期の儒学者山崎闇斎(あんさい)の提唱した神道。垂加は彼の霊社号である。近世は儒学が流行した時代であったが,同時に神道も思想界の一大潮流として多大の影響を与えた。その近世神道の中心的な思想が前期においては垂加神道,後期においては復古神道であった。1658年(万治1)初めて京から江戸に遊学した闇斎は以後毎年江戸に下り諸大名に講学した。その結果65年(寛文5)会津藩主保科正之に招かれその賓師となり,正之との交わりは72年正之死去のときまで変わることなく持続した。

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大辞林 第三版の解説

しでますしんとう【垂加神道】

すいかしんとう【垂加神道】

江戸前期、山崎闇斎が儒家神道を集大成して唱えた神道説。儒教を中心に陰陽五行説、理気説などを取り入れた説で、神人合一観を特徴とする。熱烈な天皇崇拝の立場は多くの神道家に影響を与えた。すいがしんとう。しでますしんとう。山崎神道。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

垂加神道
すいかしんとう

山崎闇斎(あんさい)が唱道し、その門流が継承した神道。闇斎は、近世朱子学を代表する一人であるが、同時に早くより神道を学び、とくに伊勢(いせ)神道を出口延佳(でぐちのぶよし)(度会延佳(わたらいのぶよし))と大中臣精長(おおなかとみのきよなが)(河辺精長)に、吉田神道を吉川惟足(よしかわこれたり)に、忌部(いんべ)神道を石出帯刀(いわでたてわき)に聞き、在来の神道を取捨・集成して独自の境地を開いた。「垂加」とは、『倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)』などに伝わる「神垂(かみのしで)は祈祷(きとう)を以(もっ)て先(さき)と為(な)し、冥加(みょうが)は正直を以て本(もと)と為す」という神託の語からとって、吉川惟足より与えられた霊社号である。所依の経典は『日本書紀』神代巻と中臣祓(なかとみのはらえ)で、神道五部書、『旧事本紀(くじほんぎ)』『古語拾遺』などをあわせて尊んだ。「道は則(すなは)ち大日(おほひるめのむち)の道、教は則ち猿田彦(さるたひこ)神の教なり」といい、神籬(ひもろぎ)は「日守木」であって、祭祀(さいし)は皇統守護の祈りに極まると力説する。また、「つつしみ(敬)」がいっさいの処し方の基本だとするが、そこには朱子学のおのずからな反映もみられる。
 山崎闇斎の没後、道統の中心は、遺言により正親町公通(おおぎまちきんみち)が受けたが、公通は、その門人玉木葦斎(いさい)の援助を得て、三種神宝および神籬磐境(いわさか)の二つの極秘伝をもって構成する『持授抄』を、闇斎の主著『風水草』から抜粋して編纂(へんさん)した。葦斎は、垂加神道の諸伝を整理・集成して『玉籤集(ぎょくせんしゅう)』を著している。この派の学者としては、上記のほか、出雲路信直(いずもじのぶなお)、梨木祐之(なしのきすけゆき)、大山為起(ためおき)、谷秦山(しんざん)、若林強斎(きょうさい)、跡部良顕(あとべよしあきら)、谷川士清(ことすが)などが注目されるが、垂加神道は、国学が台頭するまで、神道界最大の勢力であった。[谷 省吾]

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世界大百科事典内の垂加神道の言及

【神道】より

…中世の後期に入って,神道説の仏教からの離脱は進み,儒・仏・道など諸思想を習合して神を中心と説く吉田神道が成立した。近世に入って全国の神職のほとんどが吉田神道の支配下に置かれたが,吉川惟足は儒学を摂取した神道説を唱え,吉川神道(よしかわしんとう)を学んだ山崎闇斎は,儒学の立場をさらに深めた垂加神道(すいかしんとう)を主張した。また真言僧慈雲は,記紀などの神典を密教で解釈する雲伝神道を立てたが,その主張は仏教や儒教などの思想を習合した神道を,すべて俗神道としてしりぞけ古典の精神に帰ろうとする国学の立場(復古神道)に近いものであった。…

【山崎闇斎】より

…闇斎は近世純正朱子学の大成者であるとともに中国の儒教と日本の神道との根本における冥合一致を確信,純正朱子学の提唱と併行して日本の道としての神道諸伝の総合を志し,秘伝を組織して一家の神道説を提唱した。彼の提唱した朱子学を闇斎学とよび,彼の主唱した神道説を垂加神道と称する。闇斎学を継承した人に浅見絅斎(けいさい),佐藤直方三宅尚斎の,いわゆる崎門三傑があり,神道説は正親町公通(おおぎまちきんみち),春原信直(道翁),梨木祐之らによって継承され,玉木正英によって秘伝が組織化された。…

※「垂加神道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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