武市安哉(読み)タケチ アンサイ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「武市安哉」の解説

武市 安哉
タケチ アンサイ


肩書
元・衆院議員(弥生倶楽部)

生年月日
弘化4年4月1日(1847年)

出生地
土佐国(高知県)

経歴
高知の士族民権運動に参加、自由党員となり、明治5年高知県議を経て、25年地元民に推されて衆院議員となる。この間、18年に高知教会でキリスト教入信政界の汚なさに失望して26年辞職し、キリスト教信仰による理想農村づくりを目指して26人の青年と共に北海道浦臼へ渡る。翌27年の急死により農場は長く続かなかったが、今も町の子孫たちにその気風を残している。

没年月日
明治27年12月2日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「武市安哉」の解説

武市安哉

没年:明治27.12.2(1894)
生年:弘化4.4.1(1847.5.15)
クリスチャン自由民権運動家。土佐(高知県)出身。15歳で伯父の武市家を相続。土佐の士族民権運動に参加,自由党員となり,県会議員,衆院議員となる。明治18(1885)年,高知教会で片岡健吉らとキリスト教に入信。自由民権運動の敗北政治腐敗に絶望して政界を引退。同26年,27人の青年と北海道樺戸郡に入植,キリスト教信仰に基づいた自由と理想の実現をめざし,その場所を神の地「聖園」と名付けた。自由民権とキリスト教を実践しようとした明治期の理想主義者であった。<参考文献>崎山信義『ある自由民権運動者の生涯―武市安哉と聖園』

(原誠)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武市安哉」の解説

武市安哉 たけち-あんさい

1847-1894 明治時代の自由民権運動家。
弘化(こうか)4年4月1日生まれ。高知の民権運動に参加,自由党員となる。明治18年高知教会で受洗。県会議員をへて25年衆議院議員となるが,政治腐敗に絶望して翌年辞職し,北海道樺戸郡浦臼に27名の青年と入植,聖園農場を建設した。明治27年12月2日死去。48歳。土佐(高知県)出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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