歴史的妥協(読み)れきしてきだきょう[イタリア](英語表記)Compromesso Storico

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「歴史的妥協」の意味・わかりやすい解説

歴史的妥協[イタリア]
れきしてきだきょう[イタリア]
Compromesso Storico

1973年 10月イタリア共産党書記長 E.ベルリングエルが打出した現実路線。共産党は社会主義政党はもちろんのこと,従来きびしく対決していたキリスト教民主党とも協力して連合政権を樹立する用意があると声明し,さらにヨーロッパ共同体 ECあるいは北大西洋条約機構 NATOといった本質的に反共主義から成立した西ヨーロッパの組織に対しても協力することを明らかにし話題を呼んだ。これによって 76年6月の総選挙では得票率を 7.2%増の 34.4%,議席数を 48増の 227に伸ばした。しかしベルリングエルの死去転機に 80年代以降,各種選挙で退潮を重ね,さらに 89年の東ヨーロッパにおける民主化革命はイタリア共産党にも深刻な路線論争を引起し,ついに 90年3月の臨時党大会で党名変更を決定,翌年2月の第 20回党大会で社会民主主義路線を基調とする「左翼民主党 PDS」へと正式に党名を変更せざるをえなくなった。

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世界大百科事典(旧版)内の歴史的妥協の言及

【モーロ】より

…その後外相を務め,党内では孤立していたが,69年以降の政治経済危機のなかで首相に返り咲いた(1974‐76)。おりから共産党はDCとの〈歴史的妥協〉を唱えており,その最も信頼のおける対話者がモーロだった。そして共産党が初めてDC政権(第4次アンドレオッティ政権)を信任することになっていた78年3月16日,彼は極左集団〈赤い旅団〉に誘拐され,5月9日殺害された。…

※「歴史的妥協」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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