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母里太兵衛 もり たへえ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

母里太兵衛 もり-たへえ

ぼり-たへえ

母里太兵衛 ぼり-たへえ

1556-1615 織豊-江戸時代前期の武士。
弘治(こうじ)2年生まれ。筑前(ちくぜん)福岡藩士。黒田孝高(よしたか)・長政につかえ,先手大将をつとめた。朝鮮出兵,関ケ原の戦いなどに従軍。のち嘉麻郡(かまぐん)大隈(おおくま)城の城主となる。福島正則の酒宴で大杯の酒をのみほし,名槍をえたという逸話で知られ,のち黒田節にうたわれた。慶長20年6月6日死去。60歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。名は友信。通称は別に但馬。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典内の母里太兵衛の言及

【黒田節】より

…今様形式の歌詞を黒田藩士が競作し,雅楽《越天楽(えてんらく)》の旋律を借用して歌ったのに始まる。小田原攻めの功績で福島正則が豊臣秀吉から拝領した名槍を,藩士母里(もり)太兵衛が大杯で酒を飲みほしたほうびとして正則から得たという故事による歌詞〈酒は飲め飲め〉がよく知られる。43年赤坂小梅がレコードに吹き込んで全国に流行した。…

【後藤基次】より

…後藤又兵衛の大坂城入りやその奮戦ぶりは,私利に動かぬ豪快な行為として江戸期庶民の目に映じ,さまざまに尾ひれがついて快男子又兵衛像にふくらんだ。朝鮮の役でトラ退治のおり,いわゆる〈日本号の槍〉を代償に母里(もり)太兵衛の命を救った話や,黒田家から奉公構いを受けた際の言動などは,多く講釈による虚構と見られる。浄瑠璃,歌舞伎では又兵衛を登場させるについて仮名を用い,《義経新高館(しんたかだち)》には片岡八郎,《南蛮鉄後藤目貫(めぬき)》とその改作《義経新含状(しんふくみじよう)》《義経腰越状》には後藤文次,また五斗兵衛の名が用いられ,さらに《近江源氏先陣館》《鎌倉三代記》《日本賢女鑑(けんじよのかがみ)》などでは和田兵衛秀盛,《八陣守護城(はちじんしゆごのほんじよう)》では児島政次の名で,知勇兼備の軍師として描かれている。…

※「母里太兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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