日本歴史地名大系 「比賀江村」の解説
比賀江村
ひがえむら
[現在地名]京北町大字比賀江
古代は「和名抄」に記す山国郷に属し、中世は山国庄本郷(山国杣)内八ヵ村に含まれる。当村内には長和五年(一〇一六)創建と伝えられる山国五社明神のうち、二宮
地名の初見は宝徳三年(一四五一)八月一〇日付の山国惣庄山地寄進状写(井本昭家文書)で、山国惣庄の古老の一人として「比果江村溝口治部」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
古代は「和名抄」に記す山国郷に属し、中世は山国庄本郷(山国杣)内八ヵ村に含まれる。当村内には長和五年(一〇一六)創建と伝えられる山国五社明神のうち、二宮
地名の初見は宝徳三年(一四五一)八月一〇日付の山国惣庄山地寄進状写(井本昭家文書)で、山国惣庄の古老の一人として「比果江村溝口治部」とある。
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