日本大百科全書(ニッポニカ) 「御霊神社」の意味・わかりやすい解説
御霊神社
ごりょうじんじゃ
御霊とは非業(ひごう)の死を遂げた人の霊のこと。奈良時代末から平安時代にしばしば疫病が流行、それを御霊の祟(たた)りであるとしてその怨霊(おんりょう)を鎮めるために祀(まつ)ったのが御霊神社である。とくに有名なのは、京都の上御霊神社(御霊神社が正称。上京(かみぎょう)区上御霊堅町)、下御霊神社(中京区下御霊前町)の両社である。社伝によると、上御霊神社は794年(延暦13)崇道(すどう)天皇(早良(さわら)親王)の神霊を現社地に祀ったのを始めとし、のち仁明(にんみょう)・清和(せいわ)天皇の代に井上(いのえ)大皇后(光仁(こうにん)天皇皇后)、他戸(おさべ)親王、藤原大夫人(だいぶにん)(吉子)、橘大夫(きつだいぶ)(橘逸勢(たちばなのはやなり))、文大夫(ぶんだいぶ)(文室宮田麿(ふんやのみやたまろ))を合祀(ごうし)、さらにのち火雷(いかずち)天神(六所の荒魂)と吉備(きび)大臣(吉備真備(まきび))を併祭したと伝え、俗に八所(はっしょ)御霊と称する。下御霊神社は伊豫(いよ)親王を奉祀したのに始まると伝え、のちに崇道天皇、藤原大夫人、藤大夫(とうだいぶ)(藤原広嗣(ひろつぐ))、橘大夫、文大夫、火雷天神、吉備聖霊を八所御霊として奉祀。最初は京都の北郊出雲路(いずもじ)にあったが、1590年(天正18)現社地に鎮座した。両社は863年(貞観5)5月20日、神泉苑(しんせんえん)において悪疫退散のため御霊会(ごりょうえ)を勅修、その後は毎年8月18日に御霊祭が行われたが、現在はいずれも5月1日に神幸祭、同18日に還幸祭を行っている。
なお、このほかにも同名の神社が各地にあり、鎌倉権五郎景政(かげまさ)らの御霊を祀る社もある。
[岡田荘司]