毛利元義(読み)もうり もとよし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「毛利元義」の解説

毛利元義 もうり-もとよし

1785-1843 江戸時代後期の大名
天明5年11月9日生まれ。毛利匡芳(まさよし)の子。寛政4年(1792)長門(ながと)(山口県)府中藩主毛利家11代となる。文教振興,人材をそだてたが,治世後半は財政を悪化させた。趣味人で,狂歌鹿都部真顔(しかつべの-まがお)を師とし,清元「梅の春」の作詞者とされる。天保(てんぽう)14年4月5日死去。59歳。号は梅廼門真門(うめのと-まかど)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の毛利元義の言及

【梅の春】より

…1827年(文政10)の作品といわれる。真門は長州の毛利元義のことで,大田蜀山人の門人四方真顔について狂歌を学び,真門の名を得て判者になった際の披露にこの曲を作詞した。作曲者は江戸橋場の料亭の女主人。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」