毛利扶揺(読み)もうり ふよう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「毛利扶揺」の解説

毛利扶揺 もうり-ふよう

1730-1786 江戸時代中期の儒者
享保(きょうほう)15年生まれ。豊後(ぶんご)(大分県)佐伯(さいき)藩主毛利高慶(たかやす)の子。常陸(ひたち)水戸藩の重臣山野辺氏の養子となる。宇佐美灊水(しんすい),大内熊耳(ゆうじ)にまなび,博学で詩文をよくした。天明6年7月11日死去。57歳。名は聚。字(あざな)は公錦。通称は図書。別号に壺邱(こきゅう),南豊。漢詩集に「壺丘詩稿」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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