気比ノ宮村
きいのみやむら
[現在地名]三島町気比宮
小木城川左岸の沖積地と丘陵とが接する麓沿いに集落がある。東は藤川・脇野町、西は上条、北は宮沢の各村に接し、北背は丘陵地、南面の千石原丘陵との間は平地。気比神社の南方にあたる小木城・入谷両川の合流点付近の字舟沢の台地と、舟沢の北側の水田には、奈良時代末から平安期にかけての土師器・須恵器が出土する。また気比神社社記(八田国雄氏蔵)によれば、養老年中(七一七―七二四)にはのちの吉河庄内に一二の屯倉があり、そのうちの中条が当地にあたるといわれる。この中条は、元応二年(一三二〇)九月二六日の池為定去状写(本郷文書)に「吉河庄内中条北方」とあり、この田地ならびに屋敷二千束苅を惣領美作左近大夫に渡している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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