気賀庄・気賀(読み)けがのしよう・けが

日本歴史地名大系 「気賀庄・気賀」の解説

気賀庄・気賀
けがのしよう・けが

気賀庄は現細江町気賀きが付近に比定され、当初は皇室領庄園であった。気賀は気賀庄の中心部に位置し、戦国時代からみえる地名

〔気賀庄〕

安貞二年(一二二八)八月五日の七条院領目録案(東寺百合文書)によれば、「気賀庄」は高倉天皇の典侍で後鳥羽天皇母であった七条院坊門殖子から修明門院藤原重子に譲られ、のち七条院領は亀山上皇に伝領された。年月日未詳ではあるが、気賀庄は亀山上皇の女御の新陽明院にいったん譲られたのち悔返されて再度上皇領になっている(「院宣土代」高山寺文書)。鎌倉期の気賀庄については、伊勢神宮内宮役夫工米に関して御教書祭主に遣わされたことや(「某書状」同文書)、年月未詳の二一日に当庄の地頭代官を追出すなど濫妨を働いたことに対して交名を注進するよう命じた御教書が出されたことなどが知られる(「某御教書」同文書など)。庄園支配の実態はまもなく失われたとみられ、以後の気賀庄は地名表記として長く用いられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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