水子村(読み)みずこむら

日本歴史地名大系 「水子村」の解説

水子村
みずこむら

[現在地名]富士見市水子・水谷東みずたにひがし一―三丁目・水谷みずたにひがしみずほだい西にしみずほだい鶴馬つるま三丁目・榎町えのきちよう

鶴馬村の南にある。西境柳瀬やなせ川が北東流し、北東境を新河岸川が南東へ流れ、両川合流点西方付近を占める。南は柳瀬川を隔てて新座にいくらたて(現志木市)、新河岸川対岸は下南畑しもなんばた村。北西武蔵野台地上に、東は新河岸川、南は柳瀬川の沖積地にある。小田原衆所領役帳には入東につとう郡の「水子」一二〇貫文が小机衆上田左近の知行地としてみえ、弘治元年(一五五五)検地が行われていた。天正七年(一五七九、干支からは天正八年となる)には水子に移っていた十玉じゆうぎよく坊が断絶したため、滝山たきやま(現東京都八王子市)城主北条氏照から芝山しばやま(現東京都清瀬市)への移転・再興が許されている(同年二月三日「北条氏照判物写」武州文書)。なお戦国期の成立と推定される市場之祭文写(同文書)には、「武州入間郡水子郷市立時、羽倉彦次郎市祭成之」とある。

天正一九年五月芝山小兵衛(正員)に水子村の内などで三〇〇石(「古文書集」内閣文庫蔵)、太田甚九郎(清正)に水子村五五石、朝比奈新九郎(昌親)に同村二〇〇石が宛行われた(記録御用所本古文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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