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貫目改所 かんめあらためじょ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

貫目改所
かんめあらためじょ

江戸幕府が問屋場においた機関で,街道を往来する荷物貫目の検査にあたった。正徳2 (1712) 年東海道品川駿府草津中山道板橋洗馬の各宿に設けたのをはじめとして各地に設置された。これは重量制限と逓送の円滑をはかるために行なったもの。重量制限は,慶長6 (1601) 年1駄 30貫,翌年には1駄 32貫,特別の場合は 40貫と定められていたが,現実にはこの制限を無視した過重の荷物が少くなかった。

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デジタル大辞泉の解説

かんめ‐あらためしょ〔クワンめ‐〕【貫目改所】

江戸幕府が、街道往来の荷物の重量を検査するためにおいた役所東海道の品川・駿府(すんぷ)・草津、中山道の板橋・洗馬(せば)などに設置。

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大辞林 第三版の解説

かんめあらためしょ【貫目改所】

江戸幕府が街道往来の荷物の重量を検査するため、宿場の問屋場に設置した機関。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

貫目改所
かんめあらためしょ

江戸幕府が1712年(正徳2)、街道往来荷物の重さを検査するために、東海道の品川、駿府(すんぷ)、草津と、中山道(なかせんどう)の板橋、洗馬(せば)の5宿の問屋場に併置した機関。のち1743年(寛保3)には日光道中の千住(せんじゅ)、宇都宮(うつのみや)両宿、1821年(文政4)甲州道中の内藤新宿(ないとうしんじゅく)、甲府柳町、さらに1838年(天保9)には中山道追分(おいわけ)宿を加え、10宿に増置した。大名、旗本が過貫目の荷物を運搬させて宿や助郷(すけごう)の人馬を苦しめたのが原因で設置されたが、通過荷物の重量をすべて新設の貫目改所で改めていては往還の業務に支障をきたすので、実際は荷物の付け替えのとき重い荷物のみを改めた。伝馬(てんま)荷物は1駄32貫目、駄賃荷物は40貫目を標準とした。[浅井潤子]

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世界大百科事典内の貫目改所の言及

【品川】より

…品川宿の役は,北品川・南品川の両宿が各々馬50疋を,歩行新宿が人足85人を,ほかに人足2人半を北品川宿,8人半を南品川宿,4人を海晏寺,品川寺,海雲寺,長徳寺の4ヵ寺門前が負担した。品川宿に,府中宿(駿府),草津宿とともに,荷物貫目改所(かんめあらためしよ)が設置されていたことは,この宿の重要性を示すものであろう。品川宿が東海道の第1宿であったことは,ここが江戸の出入口であると考えられ,千住(日光道中),板橋(中山道),内藤新宿(甲州道中)とともに四宿といわれ,江戸の内外を分ける一つの目安となった。…

※「貫目改所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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