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元禄忠臣蔵 げんろくちゅうしんぐら

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

元禄忠臣蔵
げんろくちゅうしんぐら

9編から成る戯曲,歌舞伎作品。真山青果作。 1934年2月,2世市川左団次が東京歌舞伎座で『大石最後の一日』 (2幕4場) を上演,好評のため次々と書き継がれた。『江戸城の刃傷』 (2幕3場,1935.1.東京劇場) ,『第二の使者』 (1幕,35.1.同) ,『最後の大評定』 (序と6場,35.4.同) ,『伏見撞木町』 (2幕3場,39.4.歌舞伎座) ,『御浜御殿綱豊卿』 (3幕5場,40.1.東京劇場) ,『南部坂雪の別れ』 (2幕4場,38.11.歌舞伎座) ,『吉良屋敷裏門』 (1幕3場,38.4.明治座) ,『仙石屋敷』 (2幕4場,38.4.同) で,すべて左団次一座によって初演された。

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デジタル大辞泉の解説

げんろくちゅうしんぐら【元禄忠臣蔵】

真山青果の戯曲。10編。昭和9~16年(1934~1941)発表。赤穂義士を題材にした連作史劇。→忠臣蔵

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世界大百科事典 第2版の解説

げんろくちゅうしんぐら【元禄忠臣蔵】

戯曲。歴史劇。10部作。真山青果作。1934年2月東京歌舞伎座で《大石最後の一日》が,2世市川左団次によって初演された。これが好評で,翌年1月連作の第1編として《江戸城の刃傷》《第二の使者》を一挙に上演してから40年1月の《御浜御殿》まで,左団次一座が演じた。以後《泉岳寺》を41年11月2世市川猿之助(のちの猿翁)が上演した。41年から3年間にわたり前進座が連続上演し,また溝口健二監督によって映画化(前編1941,後編1942)もされている。

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大辞林 第三版の解説

げんろくちゅうしんぐら【元禄忠臣蔵】

戯曲。真山青果作。一九三四(昭和九)~41年「キング」「日の出」に発表。赤穂浪士の討ち入りを、綿密な考証と新たな人物解釈で劇化した連作劇。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

元禄忠臣蔵
げんろくちゅうしんぐら

真山青果(まやませいか)の戯曲。全10編よりなる連作史劇。1934年(昭和9)2月に2世市川左団次一座が歌舞伎(かぶき)座で初演した最終編にあたる『大石最後の一日』が好評のため、松竹社長大谷(おおたに)竹次郎と主演の左団次の勧めで、青果は赤穂(あこう)義士の事件を改めて全編書き下ろすことになり、『江戸城の刃傷(にんじょう)』『第二の使者』『最後の大評定』(1935)以下、発表は前後したが『伏見撞木町(ふしみしゅもくまち)』『御浜御殿綱豊卿(つなとよきょう)』『南部坂雪の別れ』『吉良(きら)屋敷裏門』『泉岳寺』『仙石屋敷』と書き継がれ、最後に発表された『泉岳寺』は左団次没後の41年11月の初演であった。浅野内匠頭(たくみのかみ)の刃傷直後から、大石内蔵助(くらのすけ)ら赤穂浪士の苦心のすえの吉良上野介(こうずけのすけ)への仇討(あだうち)と、復讐(ふくしゅう)を遂げた46人の切腹当日までを、武士の至誠を中心主題として描いた。雄大な構想と綿密な考証をもとに、巧みな性格描写で人物をとらえた青果史劇の代表作。『大石最後の一日』と、甲府宰相綱豊(6代将軍家宣(いえのぶ))と浪士の一人富森助右衛門(すけえもん)の復讐の倫理をめぐっての対決を描いた『御浜御殿綱豊卿』(1940)はよく上演される。前進座の出演で溝口健二監督により映画化(前後編二部作、1941~42)された。[藤木宏幸]
『『元禄忠臣蔵』全2冊(岩波文庫)』

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世界大百科事典内の元禄忠臣蔵の言及

【忠臣蔵映画】より

…34年には日活が,伊藤大輔監督,大河内伝次郎の大石内蔵助,片岡千恵蔵の浅野内匠頭で,トーキー《忠臣蔵》をつくった。こうして各社のオールスター作品がつづくなか,真山青果原作で前進座などの演劇人と松竹スターが出演した溝口健二監督《元禄忠臣蔵》二部作(1941‐42)が,芸術性の高いものとして注目を集め,この作品以降,第2次世界大戦中には本格的な忠臣蔵映画は姿を消した。 戦後,忠臣蔵映画は早くから企画されたが,GHQ(連合軍総司令部)の時代劇規制のため実現せず,52年,〈忠臣蔵〉の題名を用いず,仇討を描かないで赤穂浪士による政治批判のドラマにするという形で,はじめて東映作品《赤穂城》二部作が,萩原遼監督,片岡千恵蔵の浅野内匠頭・大石内蔵助二役により,つくられた。…

【忠臣蔵物】より

…これに次いで名高いのは《太平記忠臣講釈》(1766年10月竹本座)で,以後の浪士劇は,何らかの意味で,この両作の影響下に置かれている。代表的なものとしては,人形浄瑠璃に《忠臣後日噺》(1772年4月大坂北堀江市ノ側芝居),《いろは蔵三組盃》(1773年7月大坂北新地芝居),《忠臣伊呂波実記》(1775年7月江戸肥前座),《本蔵下屋敷》(1878年4月大阪大江橋席)などがあり,歌舞伎には《義臣伝読切講釈》(《忠臣連理廼鉢植》,1788年(天明8)3月大坂北堀江市ノ側芝居),《いろは仮名四十七訓(もじ)》(弥作の鎌腹,1791年9月大坂角の芝居),《裏表忠臣蔵》(蜂の巣の平右衛門,落人,宅兵衛上使,1833年3月江戸河原崎座),《仮名手本硯高嶋》(赤垣源蔵徳利の別れ,1858年5月江戸市村座),《忠臣蔵後日建前》(女定九郎,1865年閏5月江戸中村座),《稽古筆七いろは》(鳩の平右衛門,1867年8月市村座),《伊呂波実記》(松浦の太鼓,1878年9月大阪戎座),《土屋主税》(1907年10月大阪角座)などのほかに,4世鶴屋南北の《東海道四谷怪談》(1825年7月中村座)のような外伝仕立ての傍系作があり,また,近代のものとしては,真山青果の《元禄忠臣蔵》が名高く,かつ優れている。(2)講談,浪曲にも,赤穂浪士の討入を題材とした作品群〈赤穂義士伝〉がある。…

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