新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「水野忠弘」の解説 水野 忠弘ミズノ タダヒロ 肩書貴院議員 生年月日安政3年6月18日(1856年) 経歴慶応2年父忠精の辞職により11歳で襲封し、山形五万石の藩主となる。明治元年父とともに上洛し、勤王を誓約して従五位和泉守に叙任される。2年戊辰戦争では初め征討軍に従軍したが、のち奥羽列藩同盟に加わったため征討軍の攻撃を受け、降服。その後官軍の庄内藩攻撃に従軍した。同年山形藩知事となり、翌3年山形藩の廃止に伴い近江国浅井郡朝日山藩知事となったが、4年廃藩置県により免ぜられた。17年子爵。のち貴院議員を務めた。 没年月日明治38年12月7日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水野忠弘」の解説 水野忠弘 みずの-ただひろ 1856-1905 幕末-明治時代の大名,華族。安政3年6月18日生まれ。水野忠精(ただきよ)の長男。慶応2年(1866)出羽(でわ)山形藩主水野家2代となる。戊辰(ぼしん)戦争では奥羽越列藩同盟にくわわり,謹慎となるがまもなくゆるされた。明治3年近江(おうみ)(滋賀県)朝日山に転封(てんぽう)。子爵,貴族院議員。明治38年12月7日死去。50歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by