朝日日本歴史人物事典 「永島亀巣」の解説
永島亀巣
生年:文化6(1809)
江戸後期,武蔵国久良岐郡泥亀新田(横浜市)名主。嘉十郎の長男。寛文8(1668)年に泥亀新田を開発した永島祐伯(泥亀)9代目の子孫。通称段右衛門,字は忠篤,亀巣と号した。文政7(1824)年16歳で見習い名主となり,天保14(1843)年,相模国三浦半島の警備に当たった武蔵国川越藩(埼玉県)松平氏から苗字帯刀2人扶持を与えられ,水主差配役を命ぜられた。新田開発にも努め,嘉永2(1849)年から4年に,金沢新田70町余,塩田2町5反余を開発した。安政1(1854)年川越藩に代わった備後国熊本藩細川氏から家中諸役人並に任ぜられ,4人扶持を与えられた。亀巣の開いた塩田の塩の生産高は,慶応1(1865)年,7000俵に達した。維新後戸長となる。<参考文献>内田四万蔵『横浜の新田と埋立』(横浜郷土叢書),『神奈川県史 別編1/人物』
(神崎彰利)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報