永忠(読み)えいちゅう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永忠」の解説

永忠 えいちゅう

743-816 奈良-平安時代前期の僧。
天平(てんぴょう)15年生まれ。留学生として宝亀(ほうき)の初め唐(とう)(中国)にわたる。およそ30年滞在し,延暦(えんりゃく)の末に帰国。桓武(かんむ)天皇の命により近江(おうみ)(滋賀県)梵釈寺主となる。大同(だいどう)元年律師,のち大僧正。弘仁(こうにん)7年4月5日死去。74歳。俗姓秋篠。法名は「ようちゅう」ともよむ。著作に「五仏頂法決」。

永忠 ようちゅう

えいちゅう

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の永忠の言及

【チャ(茶)】より

…【梅原 郁】
[日本]
 日本に喫茶の風習が伝えられたのは,平安初期の入唐僧たちによってであった。そのひとり,近江梵釈寺の永忠は815年(弘仁6)4月,同寺に嵯峨天皇を迎え,茶を煎じて献じている。《日本後紀》に見えるこの記事は日本最初の喫茶史料というべきものだが,当時の唐風文化にあこがれる知識層の間に喫茶が流行したことは,《凌雲集》以下の漢詩文集でうかがうことができる。…

【梵釈寺】より

…当初は四天王寺と称したが,795年(延暦14)ころには梵釈寺と号し,堂塔の整備や封戸・水田・修理料の施入が行われ,禅師10人が置かれて王城鎮護の寺としての完成をみた。所蔵の典籍は,経営に力のあった等定(とうじよう)によって充実し,最澄は修行時代に《円頓止観》を借覧するなど有数の存在として知られ,以後唯識の学匠常騰(じようとう)(740‐815),嵯峨天皇行幸時に茶を献じた永忠(742‐816),円珍受法の師徳円ら学匠が止住し,名声は高まった。宇多天皇は十数回参詣し,梵釈寺僧に命じて四王像を造り,宮中に安置している。…

※「永忠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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