日本歴史地名大系 「江ノ上経塚」の解説
江ノ上経塚
ごうのうえきようづか
標高約一八〇メートルの独立山塊から東に延びる尾根上に立地する。経塚の営まれた地点は標高一五三メートルの支尾根上にあり、東方の視界は優れている。播磨江ノ上経塚とも称する。一号経塚の営造は一二世紀中葉―後半、四号経塚が一二世紀後半―末頃、二号・三号経塚が一二世紀末―一三世紀前半と想定されている。昭和六〇年(一九八五)に発掘調査が行われた。西から東に延びる尾根の傾斜変更地点に四基の経塚が構築されている。
一号経塚は四基のうち最高所に位置し、最も大きく造られている。埋納土壙は南北約三・九メートル、東西推定四メートル強の範囲で、不正円形に二〇―三〇センチの深さに掘られ、さらに中央部を径約一・六メートル、深さは推定で四〇センチ程度掘下げられている。土壙内は直径約一・七メートルの円形の石組を有するが、明確な石室構造ではない。現存する石の上端から石組の底石までは約六五センチ。副葬品および外容器の埋納状況は土壙の中央部に平らな石を置き、その周りにも二〇―三〇センチの石を敷き並べ、大刀・短刀・青白磁合子などを副葬、外容器を納め、次いで短刀を立てて納めている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報