平安時代に文章道(もんじょうどう)を家学とし多くの学者を輩出した大江家に伝来の蔵書を収めた文庫。大江匡房(まさふさ)が平安京の二条高倉(京都市中京(なかぎょう)区)の地に倉を建てて書物を安置したことが『宇槐記抄(うかいきしょう)』などにみえるが、藤原忠実(ただざね)が火災のおそれについて匡房に尋ねたところ、匡房は「日本が滅びない限り、この書物も滅びない」と述べ、その心配をものともしなかったという。その後匡房は1077年(承暦1)に、かつて村上(むらかみ)天皇の皇子具平(ともひら)親王の邸(やしき)であった千種(ちぐさ)殿(下京区)を購入し、文庫もそこへ移した(千種文庫)。しかし1153年(仁平3)に平安京に火災が発生し、文庫も焼失してしまった。『百錬抄(ひゃくれんしょう)』は「江家の千草の文倉が灰燼(かいじん)に帰し、万巻の書物は瞬時に滅びさった」と記している。
[吉岡眞之]
『小野則秋著『日本文庫史研究 上』(1979・臨川書店)』▽『川口久雄著『大江匡房』(1968・吉川弘文館)』
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