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具平親王 ともひらしんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

具平親王
ともひらしんのう

[生]康保1(964).6.19. 京都
[没]寛弘6(1009).7.28. 京都
村上天皇の第7皇子。六条宮,千種殿,のち中書王ともいう。母は代明親王の娘,女御荘子女王。康保2 (965) 年親王宣下,のち中務卿に任じられた。文才が豊かで和歌や漢詩文に優れ,また書をよくし,音律や陰陽,医術,諸技芸などにも通じ一代の文宗であった。

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デジタル大辞泉の解説

ともひら‐しんのう〔‐シンワウ〕【具平親王】

[964~1009]平安中期の文人・歌人。村上天皇の第7皇子。中務(なかつかさ)卿。六条宮・千種(ちぐさ)殿・後(のちの)中書王とよばれる。文才豊かで、和歌・漢詩文に長じ、音楽・陰陽(おんよう)・医術などにも通じた。著「弘決外典抄(ぐけつげてんしょう)」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

具平親王 ともひらしんのう

964-1009 平安時代中期の漢詩人,歌人。
応和4年6月19日生まれ。村上天皇の第7皇子。母は荘子女王。永延(えいえん)元年中務(なかつかさ)卿となり後中書(のちのちゅうしょ)王とよばれる。慶滋保胤(よししげの-やすたね)にまなび,一条天皇朝の文壇の中心的存在で,書家としても著名。寛弘(かんこう)6年7月28日死去。46歳。著作に「弘決外典抄(ぐけつげてんしょう)」「後中書王集」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

具平親王

没年:寛弘6.7.28(1009.8.21)
生年:康保1.6.19(964.7.30)
平安中期の皇族で文人。後中書王,六条宮,千種殿と称される。二品。村上天皇の第7皇子で母は女御荘子女王(代明親王の娘)。藤原頼通の妻隆姫の父。2歳で親王宣下。幼くして才智にすぐれ,慶滋保胤 らに師事して漢詩文を学ぶ一方,和歌にも秀で,陰陽,医術にも通じ,能書家でもあった。個人の詩集,歌集は今に伝わらないが漢詩集や勅選集に作品が残る。一条天皇朝(986~1011)の才人として親王では彼のみが挙げられている。逸話も多く,柿本人麻呂紀貫之の優劣を藤原公任と論争した際,人麻呂が優れていると主張して勝った話は有名(『古事談』)。永延1(987)年中務卿となり4年後,『弘決外典抄』を選述。源信,保胤らとの交流から仏教にも深い結びつきを持った。左京の六条に豪邸千種殿を営んだ。<参考文献>大曾根章介「具平親王考」(『国語と国文学』1958年12月号)

(朧谷寿)

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世界大百科事典 第2版の解説

ともひらしんのう【具平親王】

964‐1009(康保1‐寛弘6)
平安時代の漢詩人,歌人。村上天皇の第7皇子で六条宮,前中書王(兼明親王)に対して後中書王(ごちゆうしよおう)と称される。幼少より慶滋保胤(よししげのやすたね)に師事して学問詩文を学び,その思想的影響を受け,991年(正暦2)には天台宗の重要典籍である湛然の《止観輔行伝弘決(しかんぶぎようでんぐけつ)》に引用された漢籍の出典を明らかにし,これに注解を付けた《弘決外典鈔(ぐけつげてんしよう)》を選述した。

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大辞林 第三版の解説

ともひらしんのう【具平親王】

964~1009) 平安中期の漢学者・歌人。村上天皇の皇子。六条宮・千種殿・後中書王と呼ばれ、前中書王兼明親王と並称される。諸芸に秀ひいで、詩文・書に長ずる。和歌は「拾遺集」などに、詩文は「本朝文粋」に載る。仏教にも関心を示し、天台宗の重要典籍を注解して、「弘決外典抄ぐけつげてんしよう」を著した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

具平親王
ともひらしんのう
(964―1009)

平安時代の漢詩人、歌人。また管絃(かんげん)、書道、陰陽道(おんみょうどう)、医術に通じた幅広い趣味教養で知られる。村上(むらかみ)天皇第七皇子で、二品(にほん)中務卿(なかつかさきょう)に進み、六条宮、後中書王(のちのちゅうしょおう)とよばれ、子孫は村上源氏として栄えた。慶滋保胤(よししげのやすたね)に学び、『本朝麗藻(ほんちょうれいそう)』を代表する作者であり、しばしば詩会を催す文人たちの庇護(ひご)者であった。歌は勅撰(ちょくせん)集に約40首入る。藤原公任(きんとう)は、貫之(つらゆき)より人麻呂(ひとまろ)を上とする親王との論争を機縁に『三十六人撰』を選んだという。なお、仏教にも関心が深く『弘決外典鈔(ぐけつげてんしょう)』を撰述している。[柳井 滋]

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