池田寅治郎(読み)イケダ トラジロウ

20世紀日本人名事典 「池田寅治郎」の解説

池田 寅治郎
イケダ トラジロウ

明治・大正期の実業家,政治家 中央生命保険社長;衆院議員。



生年
元治1年4月3日(1864年)

没年
大正14(1925)年10月23日

出生地
備後国後月郡井原村(岡山県井原市)

学歴〔年〕
慶応義塾〔明治23年〕卒

経歴
少年時代、興譲館の館長坂田警軒に師事する。明治23年に慶応義塾を卒業したのち、教員・新聞記者などを経てタバコ製造・販売業の村井兄弟商会に入社。33年タバコ業視察のためアメリカに渡り、帰国後はタバコ専売局に転じて東京第二専売局長を務めた。40年には中国(当時は清朝)の漢口で東亜製粉会社を設立し、専務就任。その後は越後宝田石油会社専務取締役などを歴任したほか、44年の井笠鉄道の開業にも参画した。大正4年立憲国民党推薦を受けて衆院議員に当選し、1期2年に渡り国政参与。また、母校興譲館の経営難に際しては、同窓の内から同志を募り、興譲館維持会を結成した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「池田寅治郎」の解説

池田寅治郎 いけだ-とらじろう

1864-1925 明治-大正時代の実業家。
元治(げんじ)元年4月3日生まれ。村井兄弟商会の上海支店長をへて,煙草(たばこ)専売局の東京第二煙草製造所長となる。明治40年中国漢口に東亜製粉を設立し,専務。のち宝田石油専務。大正4年衆議院議員(国民党)。母校興譲館の復興に尽力した。大正14年10月23日死去。62歳。備中(びっちゅう)(岡山県)出身。慶応義塾卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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