改訂新版 世界大百科事典 「汪直」の意味・わかりやすい解説
汪直 (おうちょく)
Wāng Zhí
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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生没年不詳。中国、明(みん)の成化年間(1465~87)の宦官(かんがん)。大藤峡(広西チワン族自治区)の瑤(よう)族の出身。成化帝の万貴妃に仕え、のち御馬監太監(ぎょばかんたいかん)となる。1477年、検察刑獄を担当する西廠(せいしょう)の新設とともに責任者に任じられた。当初、南京(ナンキン)鎮監覃力朋(たんりきほう)の私塩に絡まる悪事を摘発して帝の信用を得たが、しだいに帝の寵(ちょう)を背景に、腹心を使って無実の人を投獄するようになり、その弊害のため一時左遷され、西廠も廃止された。それでもまもなく復活し、腹心の陳鉞(ちんえつ)、王越らと謀り、遼東(りょうとう)、大同方面に事を構えて軍事権をも掌握して専横を極めた。これに対し、閣臣萬安(ばんあん)らの非難が出、帝の寵も衰え、失脚した。
[川勝 守]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…中国,明の密貿易業者,倭寇(わこう)の頭目として有名。汪直ともかかれる。安徽省歙県(しようけん)の人。…
…東廠ははじめ一般官吏の不正・謀反などを内偵するのを主な任務としていたが,のちにはその範囲が民間にまで広がり,北京のみならず全国に及んだ。成化年間(1465‐87)に汪直が勢力を得ると別に西廠が設けられ,汪直の死とともに廃止されたのを,正徳年間(1506‐21)に劉瑾が復興し,さらに劉瑾は内行廠を設けたが,かれの死とともに西廠,内行廠ともに廃止された。万暦の初め馮保によってまた内廠が設けられ,東廠を外廠と改めたこともあるが,結局東廠のみが永続して明末に及び,恐怖と怨嗟の的となった。…
※「汪直」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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