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汪直 おうちょくWang Zhi; Wang Chih

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

汪直
おうちょく
Wang Zhi; Wang Chih

中国,明代の宦官。大藤峡 (広西省桂平県北西) のヤオ (瑤) 族の出身。成化帝の寵を得て御馬監太監となり,成化 13 (1477) 年に特務機関の西廠が新設されるとこれを提督し,しばしば大獄を起して反対者を退け,また遼東巡守の功を名目に同 16年には中央の 12団営を総督して軍隊を掌握し,得意の絶頂にあった。しかしやがて内外からの非難と弾劾にあい,を失って左遷降職され,その一党も処分された。

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世界大百科事典 第2版の解説

おうちょく【汪直 Wāng Zhí】

中国,明代の宦官。生没年不明。大藤峡(広西)のヤオ(瑶)族の出で,宮中に入って憲宗の寵を得,御馬監太監にすすんだ。1477年(成化13)外事密偵のため既設の東廠と並んで西廠を設けると,これを提督してしばしば大獄を起こし威勢天下を傾けた。また海西女直の入寇を機に遼東を巡り,イスマーイール(亦思馬因)を宣府・大同・延綏に防いで得意の絶頂にあったが,まもなく弾劾されて南京御馬監に謫され,西廠も廃止された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

汪直
おうちょく

生没年不詳。中国、明(みん)の成化年間(1465~87)の宦官(かんがん)。大藤峡(広西チワン族自治区)の瑤(よう)族の出身。成化帝の万貴妃に仕え、のち御馬監太監(ぎょばかんたいかん)となる。1477年、検察刑獄を担当する西廠(せいしょう)の新設とともに責任者に任じられた。当初、南京(ナンキン)鎮監覃力朋(たんりきほう)の私塩に絡まる悪事を摘発して帝の信用を得たが、しだいに帝の寵(ちょう)を背景に、腹心を使って無実の人を投獄するようになり、その弊害のため一時左遷され、西廠も廃止された。それでもまもなく復活し、腹心の陳鉞(ちんえつ)、王越らと謀り、遼東(りょうとう)、大同方面に事を構えて軍事権をも掌握して専横を極めた。これに対し、閣臣萬安(ばんあん)らの非難が出、帝の寵も衰え、失脚した。[川勝 守]

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世界大百科事典内の汪直の言及

【王直】より

…中国,明の密貿易業者,倭寇(わこう)の頭目として有名。汪直ともかかれる。安徽省歙県(しようけん)の人。…

【東廠】より

…東廠ははじめ一般官吏の不正・謀反などを内偵するのを主な任務としていたが,のちにはその範囲が民間にまで広がり,北京のみならず全国に及んだ。成化年間(1465‐87)に汪直が勢力を得ると別に西廠が設けられ,汪直の死とともに廃止されたのを,正徳年間(1506‐21)に劉瑾が復興し,さらに劉瑾は内行廠を設けたが,かれの死とともに西廠,内行廠ともに廃止された。万暦の初め馮保によってまた内廠が設けられ,東廠を外廠と改めたこともあるが,結局東廠のみが永続して明末に及び,恐怖と怨嗟の的となった。…

※「汪直」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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