特殊工作や諜報活動を担当する組織。日本陸軍では内容的に2種類の意味をもつ。(1)陸軍の平時編制上の機構を官衙,軍隊,学校,特務機関の4種に区分した。特務機関に属したのは,元帥府,軍事参議院,侍従武官府,皇族付陸軍武官,陸軍将校生徒試験委員(委員長は教育総監の隷下),外国駐在員(派遣研究員で,陸軍省軍務局長隷下),依託学生(衛生部・獣医部士官の学術研究,経理部・衛生部・獣医部の士官となるための学生として大学に研究・教育を委託された者で,陸軍省経理・医務・軍務の各局長隷下),外国留学生(軍事研究のため私費留学の武官で軍務局長指揮下),大(公)使館付武官・同補佐官・外国駐在官・印度駐劄(ちゆうさつ)武官・国際連盟軍事委員,臨時陸軍検疫所(陸軍大臣管下),陸軍教化隊(第10師団長管下)の諸機関である。他の3区分のいずれにも属さない機関を一括して総称したものである。(2)その後,転じて平戦両時を通じて諜報あるいは占領地行政実施等に当たる外国駐在官の統轄する機関を意味する名称となり,特務機関といえば一般にこの機関を意味するほど有名な存在となった。この特務機関の成立の原因は,国内的要因としては統帥権独立による政府外交と軍部外交との二元外交が成立したため,大(公)使館および大(公)使館付武官とは別に,陸軍独自の対外謀略・諜報・行政実施機関を必要としたこと,国外的条件としては清朝末期以後の中国が軍閥割拠体制化し,中央政府を対象としない各種工作の余地が生じたこと,ロシア革命後の反革命の策源として中国東北が重要な策源となったため対ソ諜報に重要な地位を占めたことがあげられる。諸外国の軍が平時に公然と独自の在外諜報謀略機関を設置した例はほとんどない。
特務機関の前史的存在でありながらもっとも典型的な特務機関的活動を行ったのは,1904年7月から13年8月まで北京に在任した青木宣純のいわゆる青木公館,1911年10月から27年4月まで北京に在任した坂西利八郎の坂西公館であった。特務機関の名称はシベリア出兵に際し,反革命政権および反革命軍の指導に任じていた参謀本部派遣将校の機関名として1918年に付せられ,ウラジオストク,ハバロフスク,ブラゴベシチェンスク,ハルピン,チタ,イルクーツク,オムスクの各特務機関が設置され,任務は軍事外交・情報収集で,身分は派遣軍司令部付とされた。シベリア撤兵後,対ソ国境沿いの中国領内に東は綏芬河,北は黒河,西は満州里に特務機関が開設され,対ソ・対中国情報機関として活動した。ハルピン特務機関は対ソ情報の中心とされ,1940年に関東軍情報部として編制化された。1920年に設置された奉天特務機関は中国東北における対中情報・謀略の中心であり,とくに満州事変から日中戦争初期に活動したが,37年12月に廃止された。満州事変当時に溥儀(ふぎ)の脱出工作を行った天津の土肥原(賢二)機関などは臨時派遣の工作班で,臨時特務機関と呼ばれた。
中国には辛亥革命以後,各地に駐在官が派遣され,上海,北京,南京,天津,済南,漢口,広東の駐在官を特務機関と称したが,日中戦争による占領地の拡大にともない,占領地の政治工作,行政指導,経済謀略などに暗躍するようになり,上海陸軍部,河北省特務機関(北京),南京特務機関,山東省特務機関(済南),漢口特務部などに改編され,1943年夏,連絡部と改称した。対南方機関としてはビルマ(現ミャンマー)工作の南機関,インド工作のF機関など臨時の機関が設置されたが,ビルマ攻略による軍政発足とともに南機関は解消し,F機関も謀略的色彩を除いた岩畔(豪雄)機関に発展解消した。占領地特務機関に類似の外国の機関として,日本占領アメリカ軍のCIC(Counter Intelligence Corps)=対敵情報部隊などがあげられる。
→情報機関
執筆者:大江 志乃夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
旧日本軍組織のうち元帥府、軍事参議院、侍従武官府、皇族附(つき)陸軍武官、外国駐在員、大使館附武官等を一括して特務機関と称した。しかし一般的には、作戦対象地域における作戦以外の政治・経済工作、諜報(ちょうほう)、謀略などの諸活動に従事する情報機関をさす。旧日本陸軍の平時編制は大別して、軍隊(軍、師団、旅団、連隊等)、官衙(かんが)(陸軍省、参謀本部、教育総監、技術本部、造兵廠(ぞうへいしょう)等)、学校(陸軍士官学校、陸軍大学校、砲兵工科学校、軍医学校等)の三つから構成されていた。情報業務自体は日清(にっしん)・日露戦争時から活発に展開されたが、1918年(大正7)のシベリア出兵に備えてハルビン、ウラジオストクに設置された特務機関がその最初のものであった。シベリア撤退後も満州(中国東北部)の特務機関は残存し、満州事変勃発(ぼっぱつ)(1931)を契機に一段と強化され、その後東南アジア方面をも含め、太平洋戦争開始前後にかけて各地に機関長の名を冠した特務機関が設置された。
[纐纈 厚]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
大陸諸地域で諜報・謀略活動などに従事した陸軍の情報機関。シベリア出兵の際に,統帥範囲外の対外活動を任務とする組織がハルビン・ウラジオストクなどに設置され,特務機関の称が用いられた。以後,奉天特務機関など中国東北部各地の機関が対ソ・対中工作を展開し,日中戦争期には北京・上海・南京・漢口などで組織を拡充,太平洋戦争期には東南アジアを含む地域へと活動範囲が拡大された。溥儀(ふぎ)の脱出工作(天津事件),徳王配下の内蒙古軍支援工作(綏遠(すいえん)事件)など多くの関与例がある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…(2)大統領等の安全に対する脅威の通報。(3)安全保障の低下を任務とする外国の特務機関および組織,個人の諜報およびその他の行動の摘発,警告および阻止。(4)権限の範囲内での国家秘密たる情報の防護。…
※「特務機関」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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