沖浦村(読み)おきうらむら

日本歴史地名大系 「沖浦村」の解説

沖浦村
おきうらむら

[現在地名]木江町沖浦

大崎上おおさきかみ島の南部に位置する。北は山を負って大崎中野おおさきなかの原田はらだ両村(現大崎町)と境し、西は明石方あかしがた村に接し、南は海に臨み伊予国岡村おかむら島・大下おおげ(現愛媛県越智郡関前村)に対峙する。「芸藩通志」に「広三十二町、袤五町」とある。村名について「国郡志下調書出帳」は「当村之儀ハ、応永ノ頃迄葛之沖ト唱候由古老申伝候、其後自然ニ沖浦村ト唱候」と記している。村域中部に応永(一三九四―一四二八)頃、土倉是右衛門冬平の居城と伝える葛山かずらやま城跡がある。

寛永一五年(一六三八)の沖浦村地詰帳(木江町役場蔵)によると田畠・屋敷・塩浜の総畝数二六町六反余、高一八二石。


沖浦村
おきうらむら

[現在地名]黒石市沖浦

黒石城下東南方にある山間の出湯の村で、二庄内にしようない村の南、いかずち山の西にあたる。元禄四年(一六九一)の黒石御絵図(市立弘前図書館蔵)に「沖館 出湯有」とある。田地はほとんどなく、同二年の黒石平内巳年郷帳(同館蔵)では二・一石、天保五年(一八三四)の郷村帳では〇・七石とある。黒石領御日記(同館蔵)の元文四年(一七三九)の村名表によれば、沖浦村の支村として二庄内村・上二庄内かみにしようない村・一ノ渡いちのわたり村・大穴おおあな村・平六へいろく村・葛川くずかわ村が記される。


沖浦村
おきうらむら

[現在地名]吉海町南浦みなみうら

南浦村ともいう。大島の南端近くにあり、急傾斜で海に臨む。亀老きろう山を隔てて北はみよう村、西は臥間ふすま村に接する。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)越智郡の項に「沖浦村 日損所、野山有、林少有」とみえ、村高は一四石七斗二合である。寛永一三年(一六三六)の沖浦村検地帳では田畑面積一一町六反となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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