沢原村(読み)そうのはらむら

日本歴史地名大系 「沢原村」の解説

沢原村
そうのはらむら

[現在地名]熊山町沢原(さわはら)

吉井川支流の小野田(おのだ)川中流域に位置し、道々(どうどう)山北麓に集落がある。南東は松木(まつき)村。「備前記」に枝村山吹(やまぶき)が載る。寛永備前国絵図では高四六〇石、正保郷帳に「さうのはら」と振仮名がある。「備陽記」によれば山寄り集落で、岡山京橋(現岡山市)まで道程五里二三町、上出石(かみいずし)町口(現同上)まで五里三〇町。田畠四三町一反余、家数九一・人数五三四、池三。天保年間の「磐梨郡三組手鑑」では直高七〇六石余、家臣一名の給地。


沢原村
さわばらむら

[現在地名]天川村大字沢原

天(てん)ノ川右岸、五色(ごしき)村の対岸に立地。天川郷のうち。慶長郷帳では村高四七・七六石、幕府領(代官大久保長安)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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