沢露川(読み)さわ・ろせん

朝日日本歴史人物事典 「沢露川」の解説

沢露川

没年寛保3.8.23(1743.10.10)
生年:寛文1(1661)
江戸中期俳人。一時,渡辺氏。通称,藤原市郎右衛門。別号,月空居士,月空庵,霧山軒など。伊賀友生(三重県上野市)に生まれ,のち名古屋札の辻で数珠商を営む。俳諧は,北村季吟,蘭秀軒(吉田)横船に学んだとも,斎藤如泉門ともいう。のち,松尾芭蕉に入門し,『流川集』を刊行家業を養子月頂に譲渡した宝永3(1706)年以降,活発な活動を展開する。諸国に31杖するとともに,門弟拡充をめざして各務支考論争におよんだこともあった。<参考文献>石田元季「蕉門七部初三集の主要作家」「尾州享保期の俳風」(『俳文学考説』)

(楠元六男)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「沢露川」の解説

沢露川 さわ-ろせん

1661-1743 江戸時代前期-中期の俳人。
寛文元年生まれ。はじめ貞門の北村季吟(きぎん),吉田横船(おうせん)に,ついで松尾芭蕉(ばしょう)にまなぶ。諸国をめぐり,熱心に撰集を刊行し,同門の各務(かがみ)支考と対立した。寛保(かんぽう)3年8月23日死去。83歳。伊賀(いが)(三重県)出身。通称は藤屋市郎右衛門。別号に月空居士,月空庵など。編著に「庵の記」など。

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