日本歴史地名大系 「河上庄」の解説
河上庄
かわかみのしよう
「和名抄」記載の渡庄目録(九条家文書)に同院領として庄名がみえる。年貢六三〇石・檜皮一〇〇井、平等院修理料所に付せられ、泰継朝臣の知行、のち寺家雑掌に召付けられたと注記される。弘安九年(一二八六)時の領家は前平中納言(時継か)で、前年来の損亡にかかわると推定される庄民からの訴えが領家に出された(「勘仲記」同年九月一三日条)。暦応五年(一三四二)の摂
渡庄目録(九条家文書)にも庄名がみえるので、南北朝期まで平等院領として名目をとどめていたことになる。
河上庄
かわかみのしよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報