鎌倉後期の皇太子。後二条天皇の第1皇子,母は参議藤原宗親の女典侍宗子。1302年6月親王宣下をうけ,惟善(これよし)を初名とした。18年(文保2)3月9日元服と同時に後醍醐天皇の皇太子に立った。これより先,皇統は持明院・大覚寺の両統に分裂し,大覚寺統の内部においても3派に分裂の兆候が見えはじめたため,当時大覚寺統の総帥である後宇多上皇は,その第1皇子である後二条天皇の系統を嫡流とし,大覚寺統の安定を図ろうとした。しかし後二条天皇が早世したため,持明院統の花園天皇が即位したが,大覚寺統は嫡流の邦良親王が幼少のために中継ぎとして後宇多上皇の第2皇子尊治親王(後醍醐天皇)を皇太子に定めた。ついで尊治親王が践祚すると,後宇多上皇は邦良親王を皇太子に立てた。しかし公家一統を遂げ,天皇親政を図る後醍醐天皇は,さらに皇統を皇子に伝えようと願ったため,邦良親王らと対立が生じた。そこで後醍醐天皇の討幕計画が漏れ,いわゆる正中の変が起こると,親王は幕府と謀って密かに皇位につこうとして画策するが,実現に至らず,26年27歳をもって没した。墓所は京都市左京区北白川追分町にある。なお親王は洛西葛野郡の木寺に住したため木寺宮を称したが,親王を初代に,その子孫を木寺宮家といい,同宮家は室町時代の中期に至る6代にわたって存続した。
執筆者:米田 雄介
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(森茂暁)
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大覚寺統(だいかくじとう)後二条(ごにじょう)天皇の第1皇子。母は藤原宗親(むねちか)の娘。永嘉門院瑞子に養育され、1302年(乾元1)親王宣下(せんげ)。17年(文保1)両統の和談により、翌年後醍醐(ごだいご)天皇が即位。院政を始めた後宇多(ごうだ)上皇の寵愛(ちょうあい)を受け、皇太子に立ち、10年後に即位することが決まった。そのため、大覚寺統内部も分立の危険が生じたが、即位に先だち死去。子孫は木寺宮を称す。
[奥富敬之]
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