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邦良親王 くにながしんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

邦良親王
くにながしんのう

[生]正安2(1300).京都
[没]正中3(1326).3.20. 京都
後二条天皇の第1皇子。母は典侍藤原宗子永嘉門院瑞子女王に養われ,乾元1 (1302) 年,親王宣下。初名は惟善と称し,のち邦良と改名した。文保2 (18) 年元服,同時に後醍醐天皇皇太子となった。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

邦良親王 くにながしんのう

くによししんのう

邦良親王 くによししんのう

1300-1326 鎌倉時代,後二条天皇の第1皇子。
正安(しょうあん)2年生まれ。母は藤原宗子(むねこ)。木寺宮(きでらのみや)家初代。正安4年親王。持明院統大覚寺統の和議が成立し,文保(ぶんぽ)2年叔父の後醍醐(ごだいご)天皇が即位すると,大覚寺統の嫡男継承をはかる祖父の後宇多上皇によって皇太子にさだめられる。のち天皇との間に対立が生じるなか,正中(しょうちゅう)3年3月20日病没した。27歳。初名は惟善(これよし)。

邦良親王 くにざねしんのう

邦房親王(くにのぶしんのう)

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朝日日本歴史人物事典の解説

邦良親王

没年:嘉暦1.3.20(1326.4.23)
生年:正安2(1300)
後二条天皇の第1皇子。後宇多上皇の嫡孫。母は参議藤原宗親の娘。「くになが」とも。後二条の早世後,邦良を大覚寺統の皇儲(後嗣)と決めた後宇多は,中継ぎの役割を次子尊治親王(のちの後醍醐天皇)に負わせることとした。尊治は文保2(1318)年2月践祚するが,邦良は翌3月立太子し,次期天皇の地位が約束された。しかし,後醍醐は皇位を手放そうとせず,邦良との間にも確執が生じた。後宇多が正中1(1324)年6月没すると,確執は激化した。邦良の即位工作は続けられたが,嘉暦1(1326)年3月即位することなく没。『神皇正統記』によれば,邦良は「鶴膝の御病」だった。

(森茂暁)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

くにながしんのう【邦良親王】

1300‐26(正安2‐嘉暦1)
鎌倉後期の皇太子。後二条天皇の第1皇子,母は参議藤原宗親の女典侍宗子。1302年6月親王宣下をうけ,惟善(これよし)を初名とした。18年(文保2)3月9日元服と同時に後醍醐天皇の皇太子に立った。これより先,皇統は持明院・大覚寺の両統に分裂し,大覚寺統の内部においても3派に分裂の兆候が見えはじめたため,当時大覚寺統の総帥である後宇多上皇は,その第1皇子である後二条天皇の系統を嫡流とし,大覚寺統の安定を図ろうとした。

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