日本歴史地名大系 「河原辺合戦古戦場跡」の解説 河原辺合戦古戦場跡かわらべかつせんこせんじようあと 山梨県:韮崎市河原辺合戦古戦場跡享禄四年(一五三一)武田信虎が諏訪頼満・今井信元・栗原兵庫らの連合軍を打破った古戦場。この合戦によって信虎は甲斐国における地位を確立した。「勝山記」には「河原辺ニテ軍サアリ」とみえるこの合戦がどこで行われたかは明確ではないが、「甲斐国志」は陣馬ノ天神・殿田・旗田などの地名が残されていた河原部(かわらべ)村大坪(おおつぼ)付近が有力とみて大坪古戦場として紹介し、現在の韮崎市街の北東方一帯や塩(しお)川を挟んで対岸の北巨摩郡双葉(ふたば)町宇津谷(うつのや)がその戦場であったと伝えている。永正一六年(一五一九)武田信虎は本拠地を川田(かわだ)館(現甲府市)より甲府躑躅が崎(つつじがさき)館に移し、家臣を城下に集住させて武田氏の覇権を確立・強化しようとしていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by