河合寺跡(読み)かこうじあと

日本歴史地名大系 「河合寺跡」の解説

河合寺跡
かこうじあと

[現在地名]天川村大字川合字火ノ口

川合かわあいの東部、天水分あめのみくまり神社付近にあったが、現在は廃寺。かつては天水分神社も寺域内に含まれていたとみられる。もとの本尊は十一面観音。創建はつまびらかでないが、南朝の勅願寺であったことは、正平六年(一三五一)七月七日の後村上天皇綸旨(寺井家文書)でも明らかである。興国四年(一三四三)一二月二七日の二通の後村上上天皇綸旨(同文書)によると、天皇は天川てんかわ三村(河合・沖金・中越)に対し、当寺の造営料所は天下一統の際に寄付することを伝えており、天授三年(一三七七)一一月一八日には長慶天皇が河合寺焼失を聞き、天川三村に先例に任せて早く造作するよう命じている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む