日本歴史地名大系 「河呂村」の解説 河呂村こうろむら 兵庫県:宍粟郡千種町河呂村[現在地名]千種町河呂千草(ちくさ)町の北に位置し、千種川の両岸に集落がある。南西は西山(にしやま)村。川呂村とも記される。領主の変遷は鷹巣(たかのす)村と同じ。正保郷帳に川呂村とみえ、田方三六一石余・畠方一〇二石余。元禄郷帳には河呂村とみえ、高四八四石余。用水は北の東河内(ひがしごうち)村仁礼(にれ)に井堰を設け、当村の大森(おおもり)まで一里近い水路を引いてもらい水をしていた。途中岩をくり抜いたトンネルや箱樋があったが、要となる樋は石を積んで柴を重ねて作ったので大雨ごとに流失、そのたびに修繕した(河呂区有文書)。牛馬の飼料や肥草にする草刈場が少なく、年間酒一斗を代償として東河内村からもらい刈をした(河内区有文書)。北西端に美作国にまたがる板馬見(いたばみ)山(現在の後山、一三四四・六メートル)があり、行者(ぎようじや)山と通称される。美作国では後(うしろ)山とよび、裏行者(うらぎようじや)山ともいう。渓流に沿って四八の行場があり、現在も一月のどんどの柱元護摩供養、五月の山開き、一〇月の山閉じの行事が行われている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by