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河越城の戦い かわごえじょうのたたかい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

河越城の戦い
かわごえじょうのたたかい

戦国時代の天文 14 (1545) 年,扇谷上杉朝定らが北条氏康の部将北条綱成を武蔵河越城に攻めた戦い。朝定らは古河公方足利晴氏の援を得て一時優勢であったが,翌年綱成側は氏康の来援を得て,上杉勢を大敗させた。この結果,古河公方と上杉氏の勢力は衰滅の一途をたどり,関東における北条氏の覇権が確立した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

河越城の戦い
かわごえじょうのたたかい

河越夜軍(よいくさ)とも天文(てんぶん)の乱などともいう。1546年(天文15)4月、北条氏康(うじやす)が同綱成(つなしげ)らの守る武蔵(むさし)河越城救援に向かい、その20日の夜、山内(やまのうち)上杉憲政(のりまさ)、扇谷(おうぎがやつ)上杉朝定(ともさだ)、古河公方(こがくぼう)足利晴氏(あしかがはるうじ)らの連合軍を撃破した戦い。この前年、氏康は、今川義元(よしもと)と、かねてから係争の地であった駿河(するが)の富士川以東の地域をめぐり激突したが、このとき、憲政は義元と結び、挟撃のため朝定らと河越城を攻囲した。氏康が不利になると、晴氏も憲政に加勢し、10月末、河越城攻めに加わった。まもなく氏康と義元、憲政らとの間にいったん講和が成立したが、翌年4月20日にふたたび戦い、その結果、朝定や難波田善銀(なんばたぜんぎん)らは戦死、憲政は上野(こうずけ)の平井に逃れ、晴氏は古河に帰った。朝定らの敗死により扇谷上杉氏は滅び、また、大石定久(さだひさ)や藤田邦房(くにふさ)らが服属して、北条氏は北武蔵における覇権を握ることになった。[佐脇栄智]

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