河野原村(読み)こうのはらむら

日本歴史地名大系 「河野原村」の解説

河野原村
こうのはらむら

[現在地名]上郡町河野原

赤松(あかまつ)村の西、千種(ちくさ)川を隔てて対岸に位置する。江戸時代の領主の変遷は延享四年(一七四七)までは上郡村に、同年以降は山野里(やまのさと)村に同じ。正保郷帳には川原村とみえ、田高二〇八石余・畠高七四石余。宝暦七年(一七五七)の村明細帳(河野原自治会文書)によれば、高二八九石余、反別田一一町七反余・畑屋敷七町余、ほかに元禄三年(一六九〇)の新田開発による高六石余(反別八反余)などがある。家数五六・人数二八一、牛二五。用水は千種川に井堰を設けて取水。百姓持山七。高瀬舟二艘があり、年貢米は当村岸から川下げし加里屋(かりや)湊(現赤穂市)へ運んだ。小物成として舟床銀六匁(不定)のほか草米・山手米、網役米(川漁による)、御伝馬宿入用米・御蔵前入用銀などを上納。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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