デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河野通之」の解説 河野通之(2) こうの-みちゆき 1842-1916 明治-大正時代の漢学者。天保(てんぽう)13年生まれ。河野杏庵(きょうあん)の子。岡鹿門(ろくもん)に師事。陸奥(むつ)仙台藩医学館の助教となる。維新後陸軍省にはいり,明治7年鹿門と漢訳書「米利堅(メリケン)志」を刊行。藤野海南(かいなん)の漢詩文作家団体の旧雨社(きゅううしゃ)に参加した。大正5年死去。75歳。仙台出身。字(あざな)は子明。通称は宋賢。号は荃汀。 河野通之(1) こうの-みちゆき ?-? 室町時代の武将。河野通尭(みちたか)の子。応永元年(1394)兄河野通義の遺児犬正丸(通久)の養育を条件に家督をつぎ,伊予(いよ)守護。応永の乱では,幕命により6ヵ国守護の大内義弘を攻撃。16年家督を通久にゆずった。幼名は鬼王丸,六郎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by