朝日日本歴史人物事典 「岡鹿門」の解説
岡鹿門
生年:天保4.11.2(1833.12.12)
幕末明治時代の儒学者。名は千仭,字は振衣,通称啓輔,鹿門は号。仙台藩士の父義治,母ミチの5男。藩校養賢堂に学び,嘉永5(1852)年昌平黌に入る。文久1(1861)年大坂で松本奎堂,松林飯山と双松岡塾を開き尊攘論を説き志士と交流。3年仙台に戻り,慶応2(1866)年養賢堂指南役となる。戊辰戦争に際して奥羽越列藩同盟に反対し一時投獄される。明治3(1870)年大学助教となり東京へ出,その後東京府学教授,修史館出仕などを歴任,13年官を辞し私塾綏猷堂で教育と著述に専念。片山潜が門人であったことは知られていない。17年中国に遊び李鴻章と会談した。墓は東京目黒祐天寺。著書『尊攘紀事』は有名。<参考文献>宇野昌介『鹿門岡千仭の生涯』
(沼田哲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報