沼木村
ぬまぎむら
[現在地名]山形市沼木・飯沢・木ノ目田・長苗代・中沼・西見田・羽黒堂・明神前・松栄・南石関
南館村の北西に位置し、須川の東岸低平地に立地。南北に長く上・中・下の三集落に分れていた。村名は須川の河跡湖があったことに由来するという。当村南部を城下上町から荒砥(現西置賜郡白鷹町)へ至る狐越街道が抜ける。須川を越えるには門伝村への門伝渡、すぐ南の高木渡、村木沢村への悪戸渡があったが、嘉永五年(一八五二)これらの渡守が門伝村に一七名いた(「門伝村人別控」門伝村文書)。別に須川東岸沿いに船町村を経て本道寺村(現西村山郡西川町)へ向かう道があり、須川近くに「左ハ本道寺 右ハ山みち」と刻された安永九年(一七八〇)銘の追分地蔵がある。
沼木村
ぬまぎむら
[現在地名]田尻町沼木
現田尻町の西端に位置し、大崎平野北縁の緩やかな丘陵と低地に立地。東は小松村、北は諏訪峠村、西は栗原郡荒谷村(現古川市)。「安永風土記」によれば、古く村内の沼の土手に槻の大木があったことから村名が起こったと伝える。同風土記に東屋敷に回り二丈ほどの大槻二本が名木として記される。安永年間(一七七二―八一)にはすでに沼は耕地化されたが、前江・上江・宮田江などの堀、沼木浦堰などが低平地と開発のあとを示す。「和名抄」長岡郡の二郷の一つとして「溺城」と記され、当地をその遺称とする見方もある。
沼木村
ぬまぎむら
[現在地名]会津若松市高野町中沼
溷川西岸にあり、南は中明村の端村屋敷、東は中前田村、北西は鶴沼村。本村の北西三町三〇間余に端村中沼木、その北西三町余に端村下沼木がある。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では門田郡に村名があり、高二九八石余。高久組に属し、文化一五年(一八一八)の村日記では高三九九石余。化政期の家数は本村一四・中沼木九・下沼木七(新編会津風土記)。明治四年(一八七一)の家数二八(寺一)・人数一七五(人員録)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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