法木村
ほうきむら
[現在地名]酒田市飛島 法木
飛島の北側にあり、南は浦村。伯耆とも記した。地内の神屋敷から鎌倉時代の古鏡三面と室町時代の古鏡三面、北宋銭を中心に約一万三千枚の古銭が出土した(飛島誌)。このうち鏡は鎌倉時代の二面と室町時代の一面、唐銭三枚を含む銭二七枚が酒田市立資料館に現存する。寛文二年(一六六二)の年貢割付状(酒井家文書)によると年貢いか一九駄、家数四〇軒半・人数八五人、田四間・畠三千七三間。天和三年(一六八三)の飛島村数並家数人数書上(鶏肋編)では家数五四、うち真言宗寺院一、人数三〇〇、猟船八一艘。
法木村
ほうぎむら
[現在地名]君津市法木
長石村の南に位置する。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高四三石。元禄郷帳では高五四石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高八〇石余、家数一三、幕府領と旗本小宮山領。
法木村
ほうぎむら
[現在地名]竹田市平田
濁淵川の支流に沿う。正保・元禄・天保の各郷帳に村名がみえない。弘化物成帳では平田組のうち、村位は中、免七ツ八分、田七〇石余(六町八反余)・畑三六石余(六町五反余)・屋敷一石余(一反余)で、開田はほとんどなく、開畑一石余(二町一反余)がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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