法道寺村(読み)ほうどうじむら

日本歴史地名大系 「法道寺村」の解説

法道寺村
ほうどうじむら

[現在地名]日南町丸山まるやま

東流する日野川右岸、鬼林きりん(一〇三一・二メートル)北麓の堆積地に位置し、南東桜子さくらご村、東はかすみ村。村内を日野往来が通る。元禄一四年(一七〇一)村尾むろう村から分離(藩史)元禄郷帳村尾村枝郷と注され、高一九七石余(拝領高に相当)。本免は六ツ四分。寛永一〇年(一六三三)の村尾村図帳写(日野郡史)では、当村分の上田九反余・中田三町八反余・下田三町余・下々田九反余、上畑五反余・中畑八畝余・下畑二反余・下々畑八畝余、切畑八反余。

法道寺村
ほうどうじむら

[現在地名]和田山町法道寺

宮田みやだ村の西、円山まるやま川支流の石和いさわ川の中流域に位置する。正保(一六四四―四八)頃の国絵図に村名がみえ、高三三六石余。寛文八年(一六六八)豊岡藩領となり、以後は宮田村と同じ変遷であったと推定される。宝暦七年(一七五七)の但馬国高一紙では高三三六石余。峠向うのはた(現養父町)と山林境をめぐって争論が続き、享保一二年(一七二七)に江戸出訴、裁許状や裏書した地図なども保管している(法道寺村有文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android