波多野清秀(読み)はたの・きよひで

朝日日本歴史人物事典 「波多野清秀」の解説

波多野清秀

没年永正1.7.24(1504.9.2)
生年:生年不詳
室町時代の武将。波多野氏は応仁の乱以前に室町幕府奉行人としてみえ,一族の秀久は管領細川氏の内衆として勝元・政元父子に仕えている。清秀は石見国(島根県)の土豪吉見氏の一族であったが,周防国(山口県)大内氏臣下であった母方の姓波多野を名乗り,応仁の乱前後から勝元に仕えた。摂津,丹波,河内,京都などの戦乱に武功があり,勝元から丹波国多紀郡(兵庫県篠山町ほか)を与えられて小守護代となった(『幻雲文集』)。郡衙のあった多紀郡内の地に居館を構えたが,これがのちの八上城(篠山町)となる。文明17(1485)年2月大芋社領(同町)が絵所土佐家に安堵されたときの,波多野孫右衛門尉清秀に宛てた守護代上原元秀の遵行伏,および郡代石原五郎右衛門尉宛の波多野清秀遵行伏が『土佐文書』に残る。死後家督は元清(稙通)が継いだ。

(森田恭二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「波多野清秀」の解説

波多野清秀 はたの-きよひで

1443-1504 室町-戦国時代の武将。
嘉吉(かきつ)3年生まれ。寛正(かんしょう)元年石見(いわみ)(島根県)から京都にいき,応仁(おうにん)の乱のころから細川勝元,政元につかえる。戦功をあげ,丹波多紀郡(兵庫県)をあたえられ,小守護代となった。家督は嫡男元清がついだ。永正(えいしょう)元年6月24日死去。62歳。

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