波多野鼎(読み)ハタノ カナエ

20世紀日本人名事典 「波多野鼎」の解説

波多野 鼎
ハタノ カナエ

大正・昭和期の経済学者,政治家 九州帝大教授;元・農相



生年
明治29(1896)年3月30日

没年
昭和51(1976)年9月29日

出生地
愛知県小牧市

学歴〔年〕
東京帝大法科〔大正9年〕卒

学位〔年〕
経済学博士〔昭和21年〕

経歴
東大在学中、第2期新人会の同人。満鉄東亜経済調査局員、同志社大教授を経て、大正14年九州帝大法文学部講師、昭和5年助教授、9年教授。21年九州経済調査協会を設立、会長。22年社会党から参議院議員当選。同年、片山首相の要請で農相に就任したが、左派社会党の反対により、3カ月で内閣総辞職した。その後、参院予算委員長。24年中大教授、28年中京大教授を歴任。28年参院選で落選。34年から民社党誕生の思想的母体である民主社会主議研究会議の議長を務めた。著書に「価値学説史」(全3巻)、「社会思想史概説」「景気学説批判」「景気変動論」「経済学入門」「経済学史概論」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「波多野鼎」の解説

波多野 鼎
ハタノ カナエ


肩書
元・農相,九州帝大教授

生年月日
明治29年3月30日

出生地
愛知県小牧市

学歴
東京帝大法科〔大正9年〕卒

学位
経済学博士〔昭和21年〕

経歴
東大在学中、第2期新人会の同人。満鉄東亜経済調査局員、同志社大教授を経て、大正14年九州帝大法文学部講師、昭和5年助教授、9年教授。21年九州経済調査協会を設立、会長。22年社会党から参議院議員に当選。同年、片山首相の要請で農相に就任したが、左派社会党の反対により、3カ月で内閣は総辞職。その後、参院予算委員長。24年中大教授、28年中京大教授を歴任。28年参院選で落選。34年から民社党誕生の思想的母体である民主社会主議研究会議の議長をつとめた。著書に「価値学説史」(全3巻)、「社会思想史概説」「景気学説批判」「景気変動論」「経済学入門」「経済学史概論」など。

没年月日
昭和51年9月29日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「波多野鼎」の解説

波多野鼎 はたの-かなえ

1896-1976 大正-昭和時代の経済学者,政治家。
明治29年3月30日生まれ。満鉄調査部をへて同志社大,ついで九州帝大の教授となる。昭和22年参議院議員(社会党)。片山内閣の農相をつとめた。のち中央大,中京大の教授。昭和51年9月29日死去。80歳。愛知県出身。東京帝大卒。著作に「価値学説史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「波多野鼎」の解説

波多野 鼎 (はたの かなえ)

生年月日:1896年3月30日
大正時代;昭和時代の経済学者,政治家。九州帝国大学教授;参議院議員
1976年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android