日本歴史地名大系 「波川城跡」の解説 波川城跡はかわじようあと 高知県:吾川郡伊野町波川村波川城跡[現在地名]伊野町波川 城床波川西南、高岡郡日高(ひだか)村との境の城床(しろとこ)に位置する小丘(一七一・三メートル)の頂上にあった中世の山城。波川小研(はかわことぎ)城(編年紀事略)とも称され、現在は波川玄蕃(はかわげんば)城ともいわれる。波川氏の出自は不明であるが、「編年紀事略」などによれば波川玄蕃は蘇我氏を名乗っていることから、当地の蘇我(そが)神社を氏神として中世に勢力を伸ばした土豪と考えられる。建武三年(一三三六)正月八日付の佐伯経貞軍忠状(蠧簡集拾遺)にみえる「曾我三郎左衛門尉」や、暦応三年(一三四〇)正月二八日付の佐伯経貞軍忠状(西岡家文書)にみえる「曾我与一」などは、波川氏の一族と考えられ、北朝方として活動している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by