日本歴史地名大系 「津久井道」の解説 津久井道つくいみち 東京都:総論津久井道相模国津久井地方へ通じる道を総称して津久井道・津久井往還などとよぶ。なかでも世田谷村(現世田谷区)で矢倉沢(やぐらさわ)往還より分れ、登戸(のぼりと)渡、柿生(かきお)(現神奈川県川崎市麻生区)・鶴間(つるま)(現町田市)・橋本(はしもと)(現神奈川県相模原市)などを通り、津久井地方へ通じる道がよく知られている。道の起点は矢倉沢往還のうち、世田谷村を経由する道筋が近江彦根藩代官大場家の屋敷を過ぎ、大きく南西に下りていくあたり(現世田谷区弦巻五丁目一六番地)で、ここから西に分岐する。分岐点にあった道標(現在は世田谷区立郷土資料館前に移設)には津久井道が「登戸道」と記されていた。 津久井道つくいみち 神奈川県:総論津久井道津久井地方の物資輸送は主として相模川舟運に依拠し、幕府により寛文四年(一六六四)以降太井(おおい)村荒川(あらかわ)(現津久井郡津久井町)に分一番所が設けられた。一方住民の通行する陸路を総称して津久井道とよんだ。そのうち代表的なものは登戸(のぼりと)(現川崎市多摩区)・高石(たかいし)・上麻生(かみあさお)(現川崎市麻生区)から鶴川(つるかわ)(現東京都町田市)・淵野辺(ふちのべ)・橋本(はしもと)(現相模原市)を経て津久井地方へ通ずる道筋である。登戸渡周辺では江戸道ともよばれた(風土記稿)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by