流村(読み)ながれむら

日本歴史地名大系 「流村」の解説

流村
ながれむら

[現在地名]棚倉町流

関口せきぐち村の南、久慈くじ川東岸の河岸段丘と後背の阿武隈高地西縁山地に立地。流廃寺跡がある。水戸街道が通る。明徳三年(一三九二)五月三日の良源二所熊野檀那職譲状(八槻文書)に「八槻郷内なかれ」とみえ、当時八槻やつき郷に含まれ、当地の田中又二郎入道性戒の檀那職を治部殿に譲っている。永禄一二年(一五六九)一一月三日の近津都々古別神社御頭目録(金沢文書)下手沢しもてざわ御頭に属して奉仕したなかに「流村内塚原」の注記があり、また「流村之内」の注記で「禰わぬき内」がみえる。近世塚原つかはら村は当村域に含まれていた。江戸時代の領主変遷伊野上いのかみ村と同じ。


流村
ながれむら

[現在地名]筑後市西牟田にしむた三潴みづま三潴町西牟田

口分田くもで村の東に位置し、北は西牟田町三潴郡に属し、本高は四七一石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高五二三石余・役高五二四石余。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高五二四石。文化四年(一八〇七)の畝付帳によると本田三六町余・開田五反余・畑二町一反余・居屋敷五反余。旧高旧領取調帳の高四七八石余。嘉永元年(一八四八)逆井手上九畝余のうち本地田方二畝余が降雨で土居筋が破損し洗剥となった(「三潴郡奉行日記」新有馬文庫)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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