浄心寺跡(読み)じようしんじあと

日本歴史地名大系 「浄心寺跡」の解説

浄心寺跡
じようしんじあと

[現在地名]湯前町 下辻

久米くめ城跡の北側麓に位置し、もとは久米村(現多良木町)に属していた。初めは宗派不明だが、のち真言宗。本尊阿弥陀如来。地元では城泉じようせん寺とよぶ。現在阿弥陀堂のみが残る。貞応年間(一二二二―二四)創建開山は沙弥浄心とされる。「南藤蔓綿録」によれば、大永二年(一五二二)に「湯前東方浄心寺権大僧都宥尊郡中ニ求奉加寺院仏閣鎮守熊野権現修造」とある。天文一六年(一五四七)一月二〇日の真誉献灯立願文(願成寺文書)で「御明三千灯 大(ママ)百枚 懸餅二枚」が願成がんじよう(現人吉市)住職真誉から当寺ほかに献灯されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む