浄永寺(読み)じようえいじ

日本歴史地名大系 「浄永寺」の解説

浄永寺
じようえいじ

[現在地名]黒部市金屋

旧国道とJR北陸本線の間にあり、長井山と号し、真宗大谷派、本尊阿弥陀如来。口碑によれば、当寺の開基宗真房はもと斎藤五と称する平家落武者の子で、平重盛の家臣長井斎藤別当実盛の孫と伝える。実盛は篠原合戦で戦死したが、斎藤五・斎藤六の兄弟が残された。平家滅亡の後二子ともに仏門に入った。承元元年(一二〇七)三五歳の親鸞越後国府へ配流となった。斎藤六は親鸞に謁し、宗玄房という法名を賜った。一方、兄の斎藤五の子は長井源蔵と名乗り、越中国新川にいかわ福島ふくじま(現入善町)天台宗の一寺を設けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む