日本歴史地名大系 「浅草田原町一丁目」の解説 浅草田原町一丁目あさくさたわらまちいつちようめ 東京都:台東区旧浅草区地区浅草田原町一丁目[現在地名]台東区雷門(かみなりもん)一丁目・寿(ことぶき)四丁目浅草三間(あさくささんげん)町の西にあり、北は浅草田原町二丁目、西は常福(じようふく)寺・浅草高原(あさくさたかはら)屋敷、南は浅草三島西蔵院(あさくさみしまさいぞういん)門前・浅草福川(あさくさふくかわ)町。新寺町(しんてらまち)通から東へ続き、浅草駒形(あさくさこまがた)町北部で日光道中に突き当る東西の通りがほぼ中央部を通る。町の起立年次と町名の由来ともに不明(文政町方書上)。寛文新板江戸絵図に「田原丁一丁メ」「同二丁メ」「同三丁メ」という記載がある。町名については、古くは千束(せんぞく)郷広沢新田の内の浅草寺領田圃で、住民の多くが紙漉を業としていたことから俗に紙漉(かみすき)町とよばれていたが、人家が増加すると区分され、もと田畑であったことにより田原町の名を付したと伝える(新撰東京名所図会)。田原町一―三丁目の規模は東西は南方が九六間、北方が七四間半、南北は東方が一六七間余、西方が一八四間半余(文政町方書上)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by