浅間丸(読み)あさままる

改訂新版 世界大百科事典 「浅間丸」の意味・わかりやすい解説

浅間丸 (あさままる)

第2次世界大戦前の日本の豪華客船日本郵船が横浜~サンフランシスコ間の北米航路に使用するために建造したもので,1929年9月三菱長崎造船所で完成。総トン数1万6947トン,全長171m,幅22m,旅客定員839名。4基のディーゼル機関を備え(合計出力1万6000馬力),最高速力20.91ノット。安全設備,旅客設備とも当時の最高水準をいくもので,29年10月の処女航海以降長らく太平洋女王として君臨した。40年1月21日には千葉県野島崎沖でイギリス軍艦に臨検されるという浅間丸事件が起こった。第2次大戦開始とともに海軍輸送船となり,42年にはグルー駐日大使,野村駐米大使を含む日米双方の外交官本国に送還するための交換船として横浜と東アフリカのロレンソ・マルケス(現,マプト)の間を往復した。44年11月航空母艦に改装するため日本へ回航中,バシー海峡で撃沈された。姉妹船に竜田丸があった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浅間丸」の意味・わかりやすい解説

浅間丸
あさままる

日本郵船会社所属、サンフランシスコ航路に就航した豪華客船。1929年(昭和4)に三菱(みつびし)長崎造船所で竣工(しゅんこう)した。1万6947総トン、長さ178メートル、ディーゼルエンジン4基、出力1万6000馬力、最大速力20.713ノット(時速約38.4キロメートル)。船客定員839人。同形船に竜田(たつた)丸(1万6975総トン)、秩父(ちちぶ)丸(後の鎌倉丸、1万7498総トン)がある。いずれも形態、構造、諸設備に優れ、「太平洋の女王」的存在であった。浅間丸は華やかな存在であった半面、台風による座礁(1937)、イギリス軍艦による乗船ドイツ人の連行事件(1940)、日米関係悪化によるアメリカ沿岸からの引き返し事件(1941)などの苦い経験を重ねた。第二次世界大戦中には兵員輸送にあたったが、1944年11月、マニラ高雄(たかお)(台湾)間の航路上で魚雷攻撃を受け沈没した。

[茂在寅男]

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世界大百科事典(旧版)内の浅間丸の言及

【客船】より

…完成後直ちにブルーリボンを獲得したが,主機出力,最高速力についての性能は軍事上の機密として公表されなかった。 日本でも1929年から30年にかけて,サンフランシスコ航路用に浅間丸,竜田丸,秩父丸(のち鎌倉丸と改称)の優秀船が建造され,太平洋航路においてその性能を誇っている。その後,ヨーロッパ航路向けに,八幡丸,新田丸,春日丸の建造が計画され,八幡丸,新田丸は完成したものの第2次大戦が始まると,建造中途の春日丸とともに航空母艦に改装された。…

※「浅間丸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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